松島トモ子が出演した映画の、嵐寛寿郎と大友柳太朗 | 高橋正朝 #189
前回、〘 サザエさん 〙の映画で、〘 小畑やすし 〙がカツオ役、〘 松島トモ子 〙がワカメ役で出演していたことを書いた。
〘 小畑やすし 〙や〘 松島トモ子 〙が、それぞれマンガ雑誌の表紙を飾っていたりしたが、映画の子役としては、〘 松島トモ子 〙のほうが〘 小畑やすし 〙よりも色んなものに出演していたようである。
千年町にあった大夕張劇場で観た映画には、〘 嵐寛寿郎 〙の〘 鞍馬天狗 〙があった。
その映画では、〘 松島トモ子 〙は、〘 杉作 〙役で出演していた。
少女が〘 杉作 〙役をやるのは、〘 松島トモ子 〙以前には、〘 美空ひばり 〙だけだった。 ただし、〘 美空ひばり 〙が出演した〘 鞍馬天狗 〙は、私は観ていない。
〘 大友柳太朗 〙が主役で出演した、〘 丹下左膳 〙と〘 快傑黒頭巾 〙にも、〘 松島トモ子 〙は出演していたが、それらの映画のストーリーは覚えていない。
〘 大友柳太朗 〙の〘 丹下左膳 〙では、映画が始まってすぐに、朝もやが立ちこめる河原にかかっていた橋の下の掘っ立て小屋のムシロを持ち上げて、〘 丹下左膳 〙が現れた場面があった。
背伸びをして川で顔を洗うところだけを記憶しているが、はたして、〘 丹下左膳 〙シリーズのその映画に、〘 松島トモ子 〙が出演していたかどうかは覚えていない。
大友柳太朗が出演したチャンバラ映画では、時どき、彼の魅力的な笑顔の場面があったりしたが、〘 嵐寛寿郎 〙出演の映画では、彼の笑顔の場面は記憶にない。
晩年、〘 嵐寛寿郎 〙はヤクザ映画にも出演していたが、それらの映画でも、笑顔の場面はなかったような気がする。
(2024年3月20日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:taka-jp@outlook.com (メール宛先変更になりました)
『鞍馬天狗』や『丹下左膳』は、1965年前後TV放送での印象が強い。
小学生の頃『隠密剣士』や『白馬童子』を見ていた流れで、時代劇を見るようになったのだろうと思う。
鞍馬天狗は高橋英樹、丹下左膳は大村崑が演じていた。
自分的には、当時大夕張の街中でも見かけた大塚製薬のオロナミンCの看板そのままの丹下左膳が印象的で強く、高橋英樹の鞍馬天狗はあまり覚えていなかった。
松島とも子は芸歴が長いので、ずいぶん年上のように感じていたたが、意外に昭和20年生れ、叔父や叔母の世代だった。
昭和45年頃、協和会館でも、大ヒット上映されていた東映映画『網走番外地』シリーズの鬼寅役で貫禄のある姿で演じていたのが、『鞍馬天狗』を演じた日本映画界の大スターである嵐寛寿郎だったことを知ったのはだいぶ後のことだった。