鹿島のあゆみ 南部に大夕張があったころ 北部調査のころ

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鹿島小学校郷土学習資料室壁面掲示の一つ。

『鹿島のあゆみ』という学習教材の年表が掲示されていた。昭和53年に作成されたとある。当時の鹿島小学校の教職員の手により作成されたものだろう。

 

鹿島小学校の子どもたちが地域学習の中で郷土の歴史を学ぶ際に活用された。

  

 

『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)で『大夕張年表』なるものを作成したが、それはこれがもとになった。

 

鹿島のあゆみ

製作 昭和53年10月25日

南部に大夕張があったころ

1635年(寛永12) 

松前藩士が家臣に命じてアイヌ人数百人に、数年間にわたり夕張岳を中心に 夕張川上流で砂金の採集をする。

1893年(明治31)

福山氏が石炭の採掘権を得て開礦する。福山礦

1906年(明治39年)

川崎繁美氏に権利が移り 鉄道敷設の申請をする。

京都合資会社が炭礦を買収し 大夕張炭鑛福山礦となる。

石炭は馬鉄で清水沢へ運ぶ。

1909年(明治42)

大夕張炭坑株式会社と名をかえる。

この頃から 大夕張とよばれるようになる。

1912年(明治45)

三菱合資会社が資金を出す。

1916年(大正5)

三菱合資会社の炭坑になり、美唄礦業所大夕張坑となる。

北部調査のころ

1913年(大正2)

三菱礦業所が北部大夕張を調査し始める。

1919年(大正7~8)

矢部理学博士・今井半次郎博士が石炭を発見する。

 

  

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