鹿島のあゆみ 北部が大夕張になってから (その1)
2024-03-29
10142
前回につづいて、鹿島小学校郷土学習資料室壁面掲示の歴史年表『鹿島のあゆみ』から。
昭和に入り、10年(1935年)頃まで街づくりが進むころ。
鹿島のあゆみ
北部が大夕張になってから (その1)
1926年(昭和元)
三菱礦業所が北部大夕張の開坑に着手。
1927年(昭和2)
美唄礦業所から独立し、大夕張砿業所となる。(
通洞開さく工事はじまる。
1928年(昭和3)
公立主夕張尋常小学校開校 (費用 三菱礦業所)
鹿島に火葬場できる。 鹿島墓地できる。
1929年(昭和4)
南大夕張~北大夕張間に 三菱礦業所専用鉄道開通する。
石炭業界も不況
大夕張劇場できる。
大夕張神社できる。
1930年(昭和5)
三菱礦業所 南大夕張事業所廃止。
労働者の大部分は 北部大夕張へ移動する。
大夕張郵便局できる。
公立大夕張消防組できる。
出炭量約29万トン
1932(昭和7)
清水沢~大夕張間道路建設計画 会社賛成せず実現できなかった。
1934年(昭和9~17)
主夕張・下夕張森林鉄道完成