鹿島のあゆみ 北部が大夕張になってから(その2)

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鹿島小学校郷土学習資料室壁面掲示の歴史年表『鹿島のあゆみ』から。

石炭増産の戦時下の時代から戦後の発展期、昭和30年頃まで。

 

鹿島のあゆみ

北部が大夕張になってから (その2)
 

1939(昭和14)

大夕張営林署(出張所)できる。

朝鮮人労務者入山(117名)。その後中国人も入山。

 

 

1942年(昭和17)

京都から勤労挺身隊が入山。

 

1945年(昭和20)

朝鮮人中国人労務者ほう起(当時3300名程入山していた)

鹿島革新同志会結成(大夕張炭礦労働組合の母体)

  

 

1946年(昭和21)

大夕張礦業所職員労働組合結成

大夕張学園女子家政塾できる。

営林署大夕張出張所が大夕張営林署になる。

夕張市役所鹿島支所できる(1943) 

 

1948年(昭和23)

道立夕張高等学校鹿島分校ができる。

1949年(昭和24)

鹿島中学校校舎完成  鹿島東小学校できる(1951)

大夕張公園児童遊園地できる。

 

1953(昭和28)

鹿島消防署現在地に完成。鹿島南部分町住民投票。

 

1954年(昭和29)

労働金庫大夕張出張所できる。

協栄橋かけかえ 鹿島労働会館完成

 

1955年(昭和30)

夕張市立図書館鹿島分館できる。

1957年(昭和32) 

大夕張ダム建設のため協栄橋水没 代替として白金橋建設

 

 

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