ゴミ箱と焼却炉|高橋正朝 #206

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昭和46年の教室配置図

 

   

 昭和46年の教室配置図で、11時の方角に、スミレ学級がある。

 その少し左下の外部に、〘 焼物 〙と表記されたものがある。 これは焼却炉ではなかろうか?

    

 クラスの座席の後ろ壁のスミの床には、ゴミ箱が置かれていた。 ゴミ箱は木製だった。

    

 石炭ガラの処理を思い出していたとき、はて、ゴミ箱はあったろうか?と考えてみた。

    

 最初、ゴミ箱はあったかどうか不確かな記憶だったが、よくよく考えてみたら、ゴミ箱はやはりあったと思っている。

    

 というのは、昭和23年生まれの年代の者やその前後の者たちは、筆記具としては、鉛筆だけだった。

    

 ボールペンは売られていたが、インクが出すぎたりしてあまり質は良くなかった。 万年筆は高価だった。

 いずれにしても、ボールペンや万年筆で書いた文字は、消しゴムで消すわけにいかず、生徒が勉強で使うのは、鉛筆が最も重宝だ。

    

 私が鹿島東小学校の3年生のとき、お祭りのときだったか運動会のときだったか、鹿島東小学校の門のところに露店が十数店並び、そのなかに、シャープペンシルが売られていた。

 しかし、そのシャープペンシルは、実用には程遠かった。 そもそもが、シャープペンシルと称して売っていたかどうかも定かでない。 くり出し鉛筆と言っていたかもしれない ••••••。 

     

 このシャープペンシルもどきは、鉛筆の芯を、シャープペンシルもどきを上下2つに分解し、鉛筆の芯を、内部の金属の筒に入れ込むものだった。 

   

 使用するときは、シャープペンシルもどきの上半分を右回転させて芯をくり出し、使用しないときは、左回転させて芯を引っ込めるシロモノだった。 だから、文字を書く機能は、1cm程度だけであった。

    

 クラスの誰だったか覚えていないが、新しいモノが好きな者がそれを買った。 しかし、その芯は売られておらず、普通の木の鉛筆を、ナイフで割って芯を取り出していた。

    

 便利なノック式のシャープペンシルが売られるようになったのは、それから3〜4年後だった。 それでも、大多数の者は、鉛筆を使っていた。

    

 その鉛筆を削るのに、一般的にはナイフを使用していた。 

 

 鉛筆を回して削る削り器は、当時のものは質が悪く、鉛筆の芯を折ってしまうのが普通だった。 それで、必然的にナイフで鉛筆を削っていた。

    

 鉛筆の削りカスは、筆箱のフタに入れ込み、芯を尖らすときは、ちり紙の上でした。

 芯を削るのに、筆箱のフタを利用しなかったのは、芯の粉で、筆箱が汚れるのを避けるためだった。 

   

 そして、鉛筆の削りカスは、ゴミ箱に捨てていた。

 

 私が鹿島中学校に入学して1ヶ月ぐらいしてから、ハンドルが手廻しの鉛筆削り器が、教壇の机に取り付けられた。

    

 これは、鉛筆の芯がある程度削られると、ハンドルが空回りするもので、なかなかの機能だった。

 そのためもあって、休み時間になると、生徒が鉛筆削り器の順番待ちに列をなした。

    

 この鉛筆削り器の削りカスも、当然、ゴミ箱に捨てていた。

    

 学級のなかで出るゴミの量はタカがしれている。 そのゴミは、掃除当番が焼却炉まで運んだ。

 それらのゴミを焼却炉で燃やしことは、私は一度もない。

 

 いったい、誰が火をつけていたのだろうか?

 

 冬季のストーブを焚くのは、クラスの日直がしていたが、焼却炉に火を入れていたのはいったい誰だったのか、今になってからの疑問だ ••••••。

 

(2024年7月20日 記)

 



     

(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

   

   

    

 

1件のコメント

  • あくまで自分のたよりない記憶だが、スミレ学級近くの裏山の通りに面して、火を使う小屋があった。
    主にスミレ学級や美術の授業で行なう素焼きの窯などだったような気もするし、ゴミの焼却施設もあったかもしれない。
     
    とにかく『火を使う』小屋があったという記憶ははっきりある。

    放課後ゴミをどこに運んだのか・・・日直の仕事の中で、覚えていない・・・

    日直の仕事の中でも(掃除当番だったかも知れない)、昼休み、石炭を入れにガンガンをもって石炭庫に入り、暗い石炭庫の中で光さす節穴から外の世界をのぞいていたことだけは鮮明に覚えている。(といっても見える範囲は中学校の裏山とシ尿処理場にむかうほこりっぽい道路だけだったが)

     

     

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