団塊の世代が在席していた当時の鹿島中学校図書室にあった戦前の新聞の縮刷版 | 高橋正朝 #209

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 私が鹿島中学校に入学してからまもなくのころ、図書室に行き始めた。

 当時の図書室は、すみれ学級の近くだった。 というか、隣室だったように思う。

 

    

 鹿島東小学校に比べて、何やら難しそうな本が書棚に並んでいた。 書棚の頭には、分類番号が表示されていた。 1 であったか 100 であったか記憶が定かでないが、その書棚は宗教・哲学の本が収まっていたが、冊数は少なかった。 

   

 その他の書棚にも番号が表示されていたが、それらの番号の記憶はない。

 図書館や図書室の類いは、哲学・宗教の本が収まっている書棚の数字は、一ケタなら1、三ケタなら100 の番号であるから、それで記憶の片すみにボヤ〜と残っていたにすぎない。

    

 一応、ソクラテスの本を手にとったが、何が何だかさっぱりわからず、もとに戻した。

    

 他の書棚にあった本を目的なしにチェックしているうちに、興味を惹くものにあたった。 

   

 新聞の縮刷版である。

    

 なるほど、印刷物を縮刷したものにすれば、保管するのには便利だ。 新聞の縮刷版なるものを、そのときに生まれて初めて見たことになる。 

   

 その縮刷版が、なんと、太平洋戦争中の新聞記事だった。 俄然、好奇心がわいた。

    

 わざわざその時代の新聞の縮刷版が図書室に置いてあった理由は知らない。 

   

 いわゆる、大本営発表の記事で、負け戦の連続であったにも関わらず、転戦とか作戦変更とかの文字が躍っていた。 我が皇軍の士気は増増高く〜なんていう文章もあった。 

   

 それらの欺瞞に満ちた大本営発表のことは、当時の我々子どもでも間接的に知っていた。

 団塊の世代は、戦争を直接体験していないが、父や祖父、それに周りの大人たちは、直接戦争に行ったり、戦時下の耐乏生活を強いられ、戦後の生活も困窮していたはずである。

 それらの話しを聞いていたのと、伴淳とアチャコが出演していた兵隊モノの古参兵の新兵のイジメなどは、兵隊に行った人たちは、あの映画のイジメのようなことは普通にあったと言っていた。

 私の父親は、徴兵ではなく、志願で海軍に行き、そこで、下士官にぶん殴られたらしい。

    

 戦時下では、軍部や政府批判をしたら、生命の危険があるから、批判はできない。

 しかし、を付け加える。 新聞社は、戦争遂行の記事を載せることで、発行部数を伸ばせる ••••••。

 ネットをチェックすると、戦争中の新聞発行部数の増加がよくわかる。

    

 戦時下の大本営発表のままに記事を書いていた新聞社も、戦後は、中立どころか、政府批判の記事を書くようになった。 

    

 それはよいのだが、正義とは名ばかりに、新聞の発行部数を伸ばすためなのか、ヨタ記事まで載せるようになった。 

   

 吉田清治事件、吉田調書事件、サンゴ落書き事件、戦後数年後の伊藤律架空会見記事件、これらは、誤報というよりも虚報である。

 センセーショナルな見出しと記事だから、発行部数は短期的には伸びる。

    

 この新聞社は、学生運動にも理解があったとされていた。 戦前から戦後二十年ぐらいは発行部数はトップだったが、大きな虚報がありすぎ、今では発行部数トップの座から転げ落ちてしまったままである。

    

 このことは、私が縮刷版で戦争遂行の記事を読んだとき、戦前と戦後の社会体制の違いはあるが、子どもであったから明確な表現は浮かばなかったものの、戦争記事で国民を鼓舞していた新聞社というのは、結構、エゲツなくてズルいんだなァ〜と思ったことは確かだ ••••••。

    

 戦争当時の新聞縮刷版は、A 新聞社と M 新聞社のもので、どういうわけか、Y 新聞社のものは図書室にはなかった。

 もちろん、Y 新聞社も縮刷版は出していたろうが ••••••。

 戦前から戦後にかけては、A 新聞と M 新聞の発行部数は、Y 新聞を大きくうわまわっていたから、そのことが関係しているかもしれない ••••••。 それらの戦争中の記事の新聞の縮刷版は、戦後に発行したものだったが ••••••。

 

 

(2024年8月10日 記)


   

(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

      

1件のコメント

  • 図書室の思い出といえば、鹿島小学校高学年から鹿島中学校にかけてSFやノンフィクションにハマった。
    読書の時間で、図書室にいけば、それらの本をいつも読んでいた(確かに新聞の縮尺版という形のものがあることもその頃知った。ただ、あまり中味の方の記憶はない)
     
    鹿島小学校の図書室で読んだSFは、おそらくアメリカのハインラインのSF小説で、少年向けに翻訳されたシリーズものだったように思う。

    地球をロケットで飛びだし地球外の惑星で冒険や主人公が活躍するといったようなストーリーだった。
     
    特にロケットが宇宙に向けて巨大な発射台から翼を広げて大空に打ち上げられるシーンの描写と挿絵が、壮大なイメージを心に描き出し、ずっと少年の心の中に残った。(のちに中学生の頃よく見たアポロ計画のロケットは、ペンシル型の形状をしていたが、当時のロケットのイメージは大きな翼をもっていて巨大な飛行機の発展形のようなイメージをもっていた)
     
     
    鹿島中学校の図書室で読んだアムンゼンとスコットの南極点到達を巡る競争を扱った伝記物だったか、ストーリーも今だ忘れることのできない感動があった。
     
     

     

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