1997年の街歩き 富士見町6丁目の坂道

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大夕張炭山駅から沢を挟んで富士見町方面に登る坂がある。

『婦人たちの行進』の記事で、おそらく大夕張炭山駅から撮影した写真にこの6丁目方面への坂道の入り口が写っている。

掲示板が立っていて、通勤の人たちを始め、たくさんの人々が行き来した道だっただろう。

EZONORAさんが書いた思い出の『富士見町6丁目の坂』の中で、退社の時間になると、この坂道を同僚らしき人のズボンのバンドを後ろから掴まえて砿業所勤務のおじさんが登って帰ってくるの姿を書いている。

それほどのけっこうな急な坂道だった。

 

  

実際、炭砿病院に勤務していた私の父親もこの坂道を歩いた。

富士見町の山の上の方に住んでいた人たちも、炭山駅や砿業所に向かう時は利用した。

 

 

記憶にある方も多いと思うが、昭和40年頃までは、ここに写る溜池は、当時は沢になっていて摺針の底に清流が流れ、石の川原が広がっていた。

その川原から上を見上げると、周囲は崖に囲まれ、重なる木々の茂みの上の方に砿業所の建物の一部と、この坂道が見えていた。

 

 

そして川の流れの先には、暗渠が道路と線路の下を通っていた。

 

 

以前にも書いたことだが、自分にとっては、キアゲハ、カラスアゲハ、シオカラトンボ、オニヤンマの飛び交う昆虫採集の宝庫だった。

6丁目の家に住んでいた時の隣の田中さんのおじさんが、日曜大工で見事な船を子どもたちに作ってくれた。

 

水に浮かべた笹の葉で作った笹船や、船に見立てた木切れを流れにのせて、追いかけた。

そんな光景をこの写真からは想像することはすでに難しくなっていた。

 

 

溜池になったのは昭和43年頃のころで自分が中学生の頃のようだが、そのことを知ったのは、大夕張を出て故郷に帰った昭和50年以降のことだった。

 

 

 

旧砿業所事務所の建物とゲートが残る

 

 

 

昭和33年の資料

 

 

  

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