1907年(明治40年)

11925
  • 1月 請願巡査1名設置。
  • 3月 行政補助機関として、登川村村内23部のうち、第22部「大夕張」が加わる。
  • 6月 1日,大夕張炭礦事務所の建築工事を請け負っている土建業兼物品販売業川畠義雄、作業中の問題で会社より叱責され、請負停止。紛争を醸したが、巡査部長村瀬某、巡査多村謙次郎の仲裁で一応解決。 2日,飯場主火音感次郎、会社の措置を不都合として,若し川畠をやめさせるならばこれに対抗すると称して、飯場在住の坑夫全員を休業させた。 3日,川畠は夜飲酒して会社と一戦すると称し、夕張在住の実父川畠雄五郎に応援を求め,実父は直ちに21名の坑夫を派遣した。会社は、60名の坑夫を非常動員し,警戒にあたるが,流言は飛び,住民は不安のうちに夜をあかす。 4日,早朝,会社の食糧部藤田吉右衛門の仲裁で,双方和解し,事なきを得る。 24日,清水沢簡易教育所大夕張特別教育場設置(学級数4 職員2)。
  • 【夕張清水沢通信(北海タイムス6月10日)】
    • 大夕張炭山 当駅より五里をへて京都合資会社の経営に係る大夕張炭山あり 鉱区は豊富にして尚創業中に属するも設備は大計画を以って進行し、当駅より電話架設しあり 馬鉄を以って石炭搬出の計画は昨年5万円の費を投じて線路布設済みとなり 鉱夫長屋建築中にて請願巡査派出所病院等の設備も出来し今や鉱夫募集中なれば昨今鉱夫大工木挽等の入込み居る者200余人 8月に至れば800余の鉱夫入山のはず
    • 清水沢駅 市街には右大夕張炭山出張所 鶴谷木材部出張所、土木請負関出張所あり 夕張出張所には炭鉱汽船会社木材揚場ウインチ設備あり
  • 7月 京都合資会社から炭砿部門を分離して「夕張炭砿株式会社」を発足。福山坑付近に錦坑を開坑。錦坑を中核とし施設拡大。 11日,坑夫80名同盟罷業。14日に至って解決。
    8月 馬鉄工事完成,石炭の搬出開始。専用鉄道完成までの4年間,二股在住佐藤庄太郎が石炭の積出しを請負う。

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