日: 2020年1月29日

八百五十 地図

八百五十

八百五十、はっぴゃくごじゅう、ほぼ850メートルの高さで、神社から続く山の名前です。赤い○で表したところが山頂です。大夕張の人たちは、スキーや軽登山などで馴染みが深く、歌の歌詞にも歌われるほどでした。 この画像の作成は,DAN杉本氏のフリーソフト「カシミール」で国土地理院発行の「数値地図50mメッシ…
大夕張駅上空から パノラマ

大夕張駅上空から

昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の…
二股停車場 思い出貼

二股停車場

明治45年(大正元年)まだ、南部が大夕張で、北部大夕張は未開発。終着駅は二股(南部)だった頃の大夕張。大夕張炭坑株式会社の二股停車場(旧南大夕張駅)。 後ろの大夕張炭坑選炭場の屋根に当時の社紋が見えます。 明治45年(大正元年) 二股停車場(旧南大夕張駅)   大夕張炭坑株式会社の社紋 &…
ボンネットバス 運んだ、石炭を人を

ボンネットバス

昭和33年頃の三菱バス営業所。三菱鉱業バスが大夕張地区内を走り始めた(山内バス)当初、ボンネットバス2台での運行でした。  三菱バスの旧塗装色は、なぜか『都営バス』の塗装と同じだったそうです。 (注)下は白黒写真に色づけをしたもので、本物と同じかどうかはわかりません。まあ、そこまでこだわる人はいない…