八百五十

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八百五十、はっぴゃくごじゅう、ほぼ850メートルの高さで、神社から続く山の名前です。赤い○で表したところが山頂です。大夕張の人たちは、スキーや軽登山などで馴染みが深く、歌の歌詞にも歌われるほどでした。

八百五十登山ルート
この画像の作成は,DAN杉本氏のフリーソフト「カシミール」で国土地理院発行の「数値地図50mメッシュ標高」、及び「数値地図25000地図画像」を使用しました。

八百五十の山頂へは、尾根伝いのコースをたどると、この赤い線のようになります。宝の沢沿いにいく谷ルートもありました。

赤いピンが立っている平坦な場所が、かつてヒュッテもあり、山スキーでにぎわった斜面です。

ここからは、夕張岳を正面に、芦別岳、日高の山々が連なり最高に気持ちよく見えるところです。

八百五十スキー斜面からみる夕張岳
なだらかな斜面のあたり。このあたりにヒュッテがあったらしい。(2003年3月)

 

八百五十山頂から大夕張全景
山頂からは大夕張のあったあたりがすべて見える。(2003年3月)

 

晴れていると山頂からは、足の下に大夕張、遠くに夕張岳を中心にした絶景が広がります。

鹿島小学校のグラウンドから山頂をみることができます。

鹿島小グラウンドから見た八百五十
右側の少し高くなっている頂が八百五十の山頂。(2003年3月)

 

【Tさん】
小学校六年生の冬、野球部顧問の佐藤先生に連れて行って頂きました。先生の命令で八百五十の山頂から大好きだった女の子の名前を叫びました。
忘れられない初恋の思い出です。  (2007/07/26(Thu) 09:38)

 

【泊川俊徳さん】
八百五十。小学校五年の冬だったと思います。
一度だけ 学校のクラスの生徒 希望者と当時 担任だった佐野先生とスキーで登った事が有りました。
大夕張に住んで居た時は スキーが得意 自分では オリンピック選手のトニーザイラーとまでは行きませんが 結構滑れました。
回転も当時としては 珍しい 関門のポールを肩に当てながら滑る回転でした。
その滑り方は変と言われましたが 今ではポールを 肩や身体で当てながら滑るのが当たり前のようです。
八百五十 登りは疲れましたが 楽しかったです。
佐野先生もスキーが 大変上手な方で 自分は ここ10年近く滑って無く スキーも多分 すっかり錆びてる事でしょう。
今は無い 狸小路の サンデパートの閉店セールで グラススキーとして買ったのですが 表面だけ グラスモドキ 単版 木の板スキーでした。
最近は中年太り 身体も すっかりかたく成り ザィラー所の話では有りません。
多分 スキー場に行くと じゃまだぁー と 氷の塊が飛んで来るかも知れません。
八百五十は 楽しかったです 一度きりでしたが。

 

【J.F.Kさん】
私は37年に大夕張鉱業所に入社、すぐにスキーを始めました。
もちろん幼稚園頃に当時三尺のスキーを買ってもらって代々木町のボイラーの在った坂で滑ったものです
スキーを始めて三年で一級を取りまして会社とスキー場以外は行った事が無い位の三年でした
段々とスキー場では物足りなくなり八百五十に行くようになりました
画像のルートは尾根伝いで主にタケノコ採りのルートで私はスキーで沢伝いでした
神社の裏から第一の壁第二の壁と登って行ったものです
第二の壁を登りきって少し下るとヒュッテでした
焼いたモチを腰に巻いて日曜とか三番方の月曜とかシーズン15回は行ってましたね
通称八百五十ですが本名は後藤山と言います
また行ってみたいのですが体力的にもう無理でしょう
昔の写真とこのメールを見て楽しむことといたします

 

 

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