商店前 (栄町)
昭和45年頃 右手に見えている商店は、『ツバメ電気商会』。
左の商店街は、三菱購買会の北側に閉山前には、7軒、軒を連ねていました。
一番、購買会寄りの『杉田履物店』の横から撮影した写真のようです。大夕張スタンプの看板もはっきりと写っています。
日糧パンのケースが山積みされているのは、隣の『森永牛乳販売店』の店頭。
少し遠くから見た写真は、以下に↓
リヤカーの話 【飯田雅人】
写真のツバメ電気商会の脇に、無造作にリヤカーがおいてあるのが見えます。街中でよくリヤカーが使われていました。身近なところでは、学校にもありました。運動会の時などは、リヤカーは、用具を運ぶための道具でしたから、それをひくのは、面白そうで、やってみたいことの一つでした。
もちろん子どもが勝手に触らせてもらえるはずもなく、でも・・・タイヤが2つもついていて、ひっぱったり、荷台にのって、走ってみたいなあ・・・と心の奥底では思っていて、遊び道具としてみると、たいへん魅力的に感じたものでした。
ある日、弥生町に住んでいた友だちが、大人から畑仕事に使ったリヤカーを借りてきたことが、ありました。それはめったにないチャンスです。リヤカーを取り巻いた遊び仲間の5、6人と、さっそくリヤカーにのって、ひいて遊ぶことになりました。もちろん最初に乗るのは、借り受けてきたA君でした。
弥生町詰所前の広場のあたりから、代々木町アパートの横を春日町方面に向けて走ることにしました。引っ張る子、乗る子、後ろから押す子、役割分担をして、「せえの」で走り出しました。自分は前にいたと思うのですが、リヤカーも引っ張るのも重く、最初、なかなか動きません。
それでも、そのうち要領を覚え、そのあたりは、大夕張駅前からずっと続く、緩やかな下り坂になっているので、そこそこスピードもでてきたなと思ったところ、「痛い、痛い。ストップ」というA 君の声で、急停止しました。
「だいじょうぶ?」と、みんな駆け寄ると、リヤカーの枠の隙間から、彼の足が出て、履いていたゴム靴と、タイヤが擦れて、いました。
幸い大事にはいたりませんでしたが、そこで、リヤカーの走行会は、中止となってしまいました。
今思うと、けっこう危ないことをしていたと思うのですが、よく誰もけがをしなかったものだと思います。