大夕張を訪ねて -1997年8月大夕張-|乗田 功一
昭和48年の閉山まで栄町に住んでいました。
8月21~23日にかけて、大夕張へ行きましたので報告します。
曇りがちで、時折雨がパラつく、あいにくの天気でしたが、ゆっくりと街を見て歩きました。
閉山以来、3年前に初めて行ってから、これで4度目ですが、行く度に街が寂しくなっていくのを感じます。
建物の取り壊しも進んでいるようで、営林署の建物(「山火事注意」の大きな看板がありましたね)や、カトリック教会だった建物が無くなっているのを確認しました。私が行ったときには丁度「加川写真館」の左隣の建物を解体していました。
昼過ぎに大夕張に着いた時にはまだ取り壊しが始まったばかりでしたが、夕方には跡形無い状態で、長い年月の中で大夕張という街を形成し、歴史を刻んで来たはずのこれらの建物も、無くなるときにはほんの一瞬なのだと、現実の無情さを感じました。
東小学校のグラウンド跡には、真新しいタイヤの跡が多数あり、おそらく多くの方々がここを訪れた様子がうかがえます。
すぐ近くの常盤町へ行く橋(鹿島橋)は健在で、通行は可能ですが、渡った途端、ジャングルも同然のうっそうと生い茂る草木に圧倒され、その先へ進むにはかなり勇気が必要な状態です。
私は2年前に車でここを進んで、元鹿島中学があった所まで行きましたが、途中電線のない電柱が1、2本立っていただけで、かつてここに何百人もの人々が暮らしていたことなど、まったく信じられませんでした。
大夕張の多くの町のなかで、常盤町が一番早く大自然に戻っていくようです(実際にはそれさえ許されず、湖に沈んでしまうのでしょう)。
大夕張駅近辺の商店街は、多くがシャッターを閉じ、何年も前から無人の空き家と思っていたのですが、そのうちの何軒かは時折移転先から帰ってきては店を開けているそうです。
実際、郵便局前の洋品屋さんもシャッターが開いており、中をのぞくとウインドウ越しに商品が並んでいるのを見ました。
今回、3日連続で大夕張を訪れましたが、連日、家族連れの車とすれ違いました。
みなさん私と同じように「最後に一目大夕張を見ておこう」という思いなのでしょう。
現在の住民三百数十人、移転先が決まっていない人はわずか。ほとんどの人々が今年中に移転されるようです。
人の住む「大夕張」は今年限りでしょうか。かつて大夕張に住んでいた方、懐かしく感じられている方、もし可能であれば一度訪れてはいかがでしょうか。
昔の面影は無いかも知れません。変わり果てた街の様子に落胆するかも知れません。
ダムが完成するのは十数年後ですが、大夕張という街はわずかな時間で「永久」に無くなります。
(1997年8月25日 記)
平成9年(1997年)6月に鹿島小学校で閉校記念式典・惜別の会が開かれました。
その日は、晴れて暑い夏を思わせるような一日でした。
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それから、二ヶ月。
大夕張営林署、大夕張カトリック教会の建物がなくなり、大夕張は、静かに、確実に移転の準備が進んでいました。
私が同じ年、お盆の頃、8月13日に大夕張を訪れた訪問記↓