東京オリンピックとカラーテレビ|Kawauchi Masami

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 昭和39年 、1964年。 街は東京オリンピックの年で盛り上がっていました。

 丁度、カラーテレビが普及し始めた時期で、まだ、一般の家庭では、高値の花でした。そんな時、あの池田屋食堂に、カラーテレビが置かれました。当時、19万円って、言ってた様に記憶しています。私が小学校4年生の時でした。

 その後、6年後、私が働いた16歳の給料が、月18000円だったので、19万円のテレビがどれほど高かったか、想像できますよね。

 そんなカラーテレビが見たくて、池田屋食堂繁盛してました。私は食堂に行くお金がないので、オリンピックを、ツバメ電気屋さんで見ました。お客さんがいっぱいで、背の低い私は、ツバメ電気屋の真ん中に鉄の柱が有りまして、それによじ登って見ました。当時、全部がカラー放送では無くて、カラー放送の時は、『カラー』って画面の隅に出てました。

 ツバメ電気屋さんですが、あのオリンピックの時、初めてツバメ電気屋さんがあることが、分かりました。それまで、電気屋さんと言えば、郵便局の近くの、『三津野ナショナルショップ』か、駅前を下がった 組合隣の『高橋電気屋の東芝ショップ』は知ってましたが、後にお世話になる、『ツバメ ビクターショップ』は知りませんでした。

 それと、ツバメ電気屋のお兄さんは、清水沢でツバメ電気屋をしていたそうですが、清水沢よく行った私ですが、どこに有ったか分かりません。ツバメ電気の車は見かけました。リリーズの看板付けて走ってました。

(2020年11月25日 記)


(筆者紹介)

昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務


思い出の記

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