昭和50年代 千年町 双葉食堂
昭和57、8年頃(1982、3年頃)千年町 双葉食堂の暖簾の前で
千年町 双葉食堂
坂本行雄さんとの写真です。
37〜8年くらい前だと思いますが、家族で大夕張を訪れた時の写真で父が撮ってくれたものです。
今となっては母とそっくりになっている私ですが💦
(2020年8月10日)
1998年頃、大夕張が『ダムに沈む街』として、各メディアに数多く取り上げられた際、番組の中でも、坂本行雄さんは、当時、大夕張に愛着をもち、「大夕張」の地名を大事にして、残したいという思いが強く、TVや本を通して伝わってきました。そんな姿に自分も共感するところでした。
坂本さんは、昭和初期の指定商の一人として大夕張に入植し、飲食店の経営後、閉山後も、民生委員など勤め、地域に最後まで住まわれた方の一人です。
昭和初期の大夕張の草創期から、ダムの建設により住民が立ち退くまで、長いこと大夕張で商店経営に携わっていた坂本さんが、平成10年に、個人史として雑誌に発表されたものを紹介します。
個人史 【坂本行雄】
私は、今の南部が大夕張の時代に生まれ、大夕張育ちです。
昭和5年に、大夕張礦業所の指定商として千年町に入りました。現在の富田商店の所に市場があり、30店余りの商店が店を開き営業をしていました。
そこに三菱の指定食堂として昭和10年頃より「末廣食堂」と「双葉食堂」を開店、「十八番食堂」は後日でき、双葉食堂は皆様のご愛顧により、長く営業をやらせていただきました。
現在はスナック「れい」を営業しています。
私は大夕張の地名が大好きです。その大夕張の建築物や、及び大夕張という名称が消えていく・・・。
大夕張郵便局・大夕張生協・大夕張診療所・大夕張薬局・大夕張消防分団・大夕張商工会・大夕張保育園・三菱バス大夕張営業所・大夕張三吉神社・大夕張ダム管理所・大夕張鉱業所事務所・大夕張駅・大夕張炭山駅・大夕張営林署・・・。
ダムに沈む大夕張よ 永久に さようなら
(平成10年 記)