子どもたちの冬|ziny

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 冬、八百五十へ行く道や、神社の上の方には兎の足跡がよくありました。

 鹿島小学校の石炭庫、物置?にも、兎とりのハリガネの罠があったような記憶があります。

 当時の鹿島の冬の子供たちの仕事は、ジャンプ台作りでした。春日町の坂道・・私はりき(じき)しんの坂でした。道を90度に横切りジャンプ台を作りましたね。たまに、馬車や車が来ると潰されましたが。

 『しろ』作り、これも鹿島の子供の最高の仕事でしたね。

 かまくら・・なんて軟い言葉はあいません。

 町内・外対抗で雪玉を凍らせての戦争(潰しあい)なんかもしましたが、何故かけが人はなかったです。


 びしょびしょに濡れ、ストーブの周りはほしものだらけ。片栗粉湯『くず湯』が、ほんとに美味しかった。あれはサッカリンかな?

 『思い出貼』に、コークス工場の写真がでていましたが、ここでは高校3年、昭和43年頃、コークス取りのアルバイト、『出面取り』でいきました。なつかしいです。


 左側にもう一棟あったような気がしますが。でも、冬のマイナス10度くらいの時でも、やけどしそうなくらい熱かったですね。

 その手前では坑木(8尺、6尺)担ぎもやった。バイト代は十字屋でバッシュ(バスケットシューズ)を、またその先の楽器屋さん?でギターを買うのに使ったのかな?

(2002年2月22日 記)


思い出ばなし

1件のコメント

  • 全身を雪だらけにして外を遊び回った日々。

    特に新雪が降った日には外で遊ぶのが大好きでした。

    そんな晴れた日の朝、家の裏の八百五十につながる山の斜面には、いくつもの兎の足跡がついていたことを覚えています。

    この足跡をたどれば兎に会えるかもしれない、そんなことを本気で思いながら、深い雪をこぎながら、沢を下り、崖を上って追いかけたこともありました。

    鈍重な自分と遭遇するような兎は、一匹もいませんでした笑。

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