12月のある夜の出来事 続
前回の投稿を受けて、翌日から、次のような書込みが続きました。
「さっぽろっこ」さんの行動、山口さんのおばあちゃんやご家族によせる思いやり、あたたかさが、行間ににじみました。
当事者である「さっぽろっこ」さんと、「山口」さんからのメッセージを交えて紹介します。
山口さんのお母さん 【田中 紀子】 2004年12月16日
親切な方達にめぐり会えて、無事保護され本当に良かったですネ。
きっと、病気になられても、昔暮らした事のある大夕張の思い出が心の片隅に忘れずに残り、バス停に行く事で、大夕張との距離を感じたのでしょうネ。
寒い季節に心優しい人にめぐり会えたお母様、本当に良かったです。
大夕張の町はもう無くなりましたが、だれの心の中にも消す事の出来ない。永遠の大夕張が生きているのですネ。
ご家族の方も、大変と思いますが頑張って下さい。
今の世の中、暗いニュースの多い毎日ですが、さっぽろっこさんのこの投稿はせつない感動でした。
ありがとう。
大夕張での撮影の「北の零年」にエキストラで出演して居るそうですね。
これも大夕張との何かのご縁です。私も是非見に行きます。
せつないです。 【夕子】 2004年12月16日
せつなくて、涙がでました。
さっぽろっこさん、またお年寄りが困っていましたら、親切にしてね。
山口さん、大変でしょうが、お母さん大切にね。
大夕張は、もうみんなの心にしかないのです。
よかった~。 【さっぽろっこ】 2004年12月16日
この掲示板に載せたことで、山口さんのお母さんのその後が無事であったことを知って、安心致しました。
大夕張は、記憶の中のまちだったんですね。
夕子さんや、田中さんのお話を見てわかりました。
山口さんのお母さんは昔の中の記憶の中にいたんですね。
きっとおばあさんは、バスに乗らずに、あの後、また街の中を歩いたのでしょうね。
寒い日だったのでとても心配でした。
でも、こうしてなにげなく大夕張を検索して見つけたホームページの掲示板に投稿して、このように
反応が返ってきたことは、すごく私にとってもうれしかったです。
こちらこそ山口さんが書き込んで知らせてくださったことに感謝しております。
わかるなあ~ 【斎藤 敏幸】 2004年12月17日
おばあさんの気持ち分かるなあ。
僕も昔仕事で札幌に来ると、安田生命前のバス停を見に行っていたもんなあ。
バスの時刻表をじっと見て、本数は減ったものの終点大夕張の文字を見ると、何か嬉
しかったなあ。
そう、帰ることができない者にとっては、あのバス停が一番「大夕張に近い」場所だった
んだなあ。
だから、本当、おばあさんの気持ち分かるなあ。
さっぽろっこさんに感激 【桑島 弘美】 2004年12月20日
掲示板を開きました。そして、目を奪われてしまいました。
山口さんのお母さんの姿にも涙が出そうになりましたが、それを、真剣に受け止め、一緒に、バス停を探してくれた、さっぽろっこさんの行動に、私からも有難うと言いたいです。
なぜか、山口さんのお母さんの姿に、私の母の姿を重ねて、しまいました。
大夕張が、今も心の中に生き続けているのですよね。
私も札幌での生活が、30年以上になりますが、今でも夕鉄バスを見ると振り返ってしまいますし、三菱バスへの思いは、特別なものを感じます。
本当に故郷って、偉大ですね。
皆さんに感謝 【山口】 2004年12月17日
おふくろの事で色々な方達より投稿頂き、感謝いたして居ります。
昔の事を思い出し、大夕張へ。
バス停が無く、途方にくれ、考え抜いて、自分が生まれ育った北八条まで言った事を思うと、言い様の無い思いを感じました。
今の事は忘れても、一途な思い、大事にしていきます。
有難う御座いました。
山口さんのお母さんはサンタさん 【田中紀子】 12月21日
日々の忙しさに忘れかけていた、故郷大夕張を思い出させてもらいました。
貴方のお陰でこんなに沢山の古里の皆様のお話を聞かせて頂きました。
殺伐とした現代社会の中に、優しい心を呼び起こしてくれました。
貴方の行動は無駄ではありませんでした。
きっと、ご家族の方も今回の件は素晴らしい経験となられた事でしょうネ。
私も年老いて行く日々を考える時、お母様の件は他人事とは思えません。
今回の山口さんのお母様は、大夕張を古里とする人達に大きな「知的プレゼント」を送って頂きました。
有難う御座います。 何時までも、バス停まで行ける元気を忘れず長生きして下さい。
父の思い出 【田鎖加代子】 12月20日
胸が熱くなりました。
ふる里は 幾つになっても忘れ難い所なのですね。
いいえ 年を重ねるほど 思い出されるものなのですね。
10年前に 71歳で亡くなった私の父も
「昨日の事はスグ忘れてしまうのに 昔の事はハッキリ覚えている」と、言っていました。
亡くなる2年程前から、歩くのが困難になった父も、ベッドの上から若かった頃の自分を、大夕張を、懐かしんでいたのでしょうか・・
そう思うと、又、涙がこぼれます。
暖かさと優しさに、胸があつくなりました 【ヒロみうら】2004年12月21日
「さっぽろっこさん」の思いやりの溢れた行動に、久々に胸があつくなるのを感じました。
忘れかけていた、人への真実の愛情なのかも知れませんね。
そして、私にとって、ふるさと行きの玄関口が、あのバス停でした・・・・
北海道を遠く離れ、久々の帰郷の度に、あのバス停に立つと「フッー、ようやく帰ってきたな・・・」と、思わずつぶやいた事が、脳裏によみがえります。
なーんだろう・・・うまく話が出来ないけれど・・・。
思わず『富士メガネ』横にあった、あのバス停に駆けつけたくなりました。
イリュージョン大夕張かな・・・
メリークリスマス、そしてハッピーニューイヤー!!
・・・このおはなしをめぐるやり取りは、『ふるさと大夕張』の掲示板で、12月15日から12月21日にかけて一週間ほど続きました。
それから、2日後、当時『ふるさと大夕張』の『夢の街』に作品を掲載させていただいていた夕輝文敏さんからもメッセージが届きました。
バス停 【夕輝 文敏】 2004年12月23日
山口さんのおばあちゃんを廻る心温かな出会いに触発されて、「バス停」というショート・ストーリーを、『ふるさと大夕張』の『夢の街』に掲載させていただきました。
年の瀬が迫ったこの時期に、おばあちゃんの思いと、それを包み込む人々の心に、触れることができたことに、とても感謝しています。
さっぽろこさん、あの街には、空間としては消えてしまっても、今でも生き続けているものがあるのですね。
あなたの、優しさが皆を幸せにしてくれました。
ありがとうございます。
同じく『夢の街』に掲載させていただいている「イリュージョン/大晦日の奇跡」「約束」にも、大夕張を巡る優しさ・温もりが流れていますので、クリスマス・年越しの夜に皆さんに読んでいただければ嬉しい限りです。
本当に,ありがとうございます。
・・・こうして、寒い12月の夜の、ささやかだけど、人の心をあたかかいやさしさで包んでくれる一つの出来事が、物語として命を吹き込まれ、誕生したのでした。
↓ 夢の街『バス停』への入り口はこちらです。