鹿島の太陽|ziny

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「黒部の太陽」を観てきました。

「裕次郎の夢」全国縦断チャリティ上映会、に当選して、さいたま文化センターまで出かけてきました。

 会場はびっしり満員で、ざっと数えて千五~六百人もいたでしょうか。

 私より先輩が多数と、感じましたが。・・・

 44年振りの完全公開だそうです。スクリーンの中の、今は亡き大勢の昭和の大スターが懐かしい・・・。

 石原裕次郎もそうですが、三船敏郎の若さと演技により魅きつけられました。

 二人とも若かりし面影です。しかし、時の流れを感じさせる映像でした。

 主ストーリーは、世紀の難工事といわれた黒部ダム第四発電所を建設すべく、日本の背骨である北アルプス山中に隧道を作る中での人間ドラマです。

 でも、私の頭の中では、大夕張の炭坑の坑道と、シューパロダムの建設が、オーバーラップしていました。

 私は各地のダム建設現場の状況や、トンネル現場でも、先進導坑をとおり、切羽の先端まで行った経験もありますので、それらの内容が忠実に再現されていると感じました。

 アルプスの破砕帯にぶち当たり、岩盤からの漏水や鉄砲水、また、坑道の落盤や発破などで多数の死傷者を出しながらの隧道の貫通ですが、昔の炭鉱の落盤事故も、このような過酷な状況の中で、起こったのだろうと考えさせられる映像です。

 


 冒頭に行われた石原まき子(北原三枝)夫人のトークショーも素敵でした。

 裕次郎没後25年、結婚52年目だそうですが、裕さんと優しく呼んでいました。

 以前から観たかった映画でしたので、念願が叶いました。

 午後1時からの始まりでしたが、終わると、とっぷり暗くなった冬の夕暮れです。

 浦和地区では名物であるという鰻をいただいて帰ってきました。

 ほろにがみの肝焼きと、さっぱりとしたうな重、美味、美味でしたね。

 ウィキペディアによると、石原裕次郎は、以前に書き込みさせていただいた、三菱大夕張鉱業所社長であった大槻文平氏とも関係があったらしい。

 裕次郎の影の功労者として、借金返済のために人の紹介をしたとの記載があります。

 思い出すには、昭和40年代前後の当時に、協和会館で裕次郎の映画を、何度か見ております。

 その時は、正面玄関から堂々と?入りましたが、もっと前の子ども時代の怪獣映画の頃は、横の木を登って塀を乗り越え、代々木町側の少し破れていた非常扉?あたりから、遊び仲間とこっそり出入りしていた記憶も蘇ってきました。

 まぁー、遊びの場所でもあったのでしょうか。・・・懐かしい鹿島の少年時代を思い出させてくれた穏やかな初冬の一日でした。

 閉山から40年近く経っての、新シューパロダムの竣功も「鹿島の太陽」であって欲しいと思います。

(2012年12月9日 記)


随想

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