昭和13年10月 大夕張尋常高等小学校 3年 集合写真

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 この写真は、祖父が、沼ノ沢から大夕張尋常高等小学校に転任してきて、初めての集合写真。

 昭和13年(1938年)10月、礦業所の発展にともない、児童数が1000名を超え、校舎増築も追いつかず、二部授業を行っていたという頃です。国家総動員法が発令され、国が戦争への道を進んでいった頃。

 大夕張のみなさん、ご存じの小学校から神社への登り口のあたり。湧き水が湧いていたという。木製の小橋が見えます。

 今は、国道452号の「鹿島小学校跡」へ降りる看板のある、まさに、その場所のあたり。

 尋常科3年、今では、8歳頃の子どもたちでしょうか、ここに写る52人の子どものたちの表情のたくましさに驚かされます。

 胸を張り、「張る」というより、大仰なまでに胸を反り返しながらまっすぐ前を見つめる子ども、何か大事なものを背負って登校してきているのか、腹のあたりに風呂敷のひものようなもので縛っている子、質素ながらまっすぐ前を向いて生きている子どもたちの姿が伝わってきます。

 戦後の日本を作ってきた世代の皆さんです。現在は90歳を越えています。

 表情がわかるくらいの解像度も大きめの写真で掲載しています。

  このたび、20年ぶりに祖父のアルバムからスキャンして色付けをしましたが、以前の白黒写真に比べると、退色が進んでいるようです。

 



坂の途中にあった乃木神社 【T・A】(2006年10月19日) 


 坂道を左に上り、中腹を右斜めに行くと山神社があった。

 その途中左手に、乃木神社があった頃の写真でしょう。

 日露戦争で有名な乃木将軍で、明治天皇が崩御されたときご夫妻で後追い自害され、国民が感動され、後に乃木神社が全国に祀られようです。

 昭和20年頃、少年時代の遊びの場所でもありました。



                        
熊笹の茂る斜面 【泊川俊徳】


 昭和13年当時、神社の坂入り口、鳥居と当時の生徒が写る写真の中で 今は神社の周辺は うっそうと木々が
生い茂っていますが、昭和13年当時は、木が茂って無い、熊笹ばかりが目立ちますね。

 戦争と言う時代前、木を切り倒して 資材として使ったのではと、想像します。


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