昭和44年 鹿島中学校修学旅行(道東方面) -三菱バス-
昭和44年(1969年) 鹿島中学校の修学旅行のひとこま。旅の途中、休憩時間でしょうか、土手の上で、弁当らしきものを広げている男子中学生の姿もみられます。写真の左手に、休憩所でもあるのでしょうか?それにしても今に比べると未整備な感じがする場所です。
鹿島中学3年生だった私は、当時、修学旅行を控え、学級の中でも、今年は道東方面になるのだろうか、それとも東北方面になるのだろうかと、話題になっていました。
その頃は、その内のどちらかになるのが、通例でした。「道東だと摩周湖に行ける」「でも霧でなかなか湖は見えないらしいぞ」(当時、布施明の『霧の摩周湖』という歌が流行っていました)と、喧々諤々と、学級の中でも話題になっていたように思います。結局、私たちの3年生は、大沼・弘前で宿泊し、奥入瀬、十和田湖方面になったと記憶しています。
この写真は、私たちの一学年前の修学旅行の写真ということになります。私たちは、AからF組までの六学級でしたが、七学級7台での旅行。三菱バスが7台並ぶという壮観な光景です。
もちろん大夕張の車庫にいつもこんな沢山の台数があるはずもなく、貸し切りの時は、美唄から応援にきていたと思います。
鹿島中学校の修学旅行 【Kawauti Masami】(2020年12月29日)
昭和44年の中学3年生の時の鹿島中学校、修学旅行。
バス7台。私達は、G組まで有りました。
私達は 層雲峡 川湯温泉 阿寒 原生花園 などへ行きました。
バスの場所は、思い出せませんが、修学旅行1日目で、結構広い公園でした。
雨上がりの公園で、私、転んでしまい、修学旅行初日と言うのに、ズボンに粘土の様な泥を付けてしまいました。
途方に暮れて、辺りを見ると、お寺が有りました。
そこへ行き、事情を話すと、そこの奥さんが、雑巾バケツと、雑巾を持って来てくれて、拭いて泥を落としてくれました。
助かりました。