昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami
昭和44年(1969年)6月、鹿島中学校修学旅行。 車内に入って来た、担任の西田先生です。
私たちは、層雲峡、川湯温泉、阿寒、原生花園などへ行きました。
友達が、川湯温泉だったと思いますが、温泉のお湯を飲んでしまい、次の日、声が出なくなってしまった事が有りました。
原生花園へ行った時、オホーツクの海が冷たかったのを覚えています。季節は、6月の修学旅行でした。
ホテルでは、トイレが、洋式が出始めた時期で、初めて見る『洋式トイレ』で、出来なくて、和式トイレを探したのを覚えています。
バスの中では、バスガイドさんが、即席で歌を教えてくれて、『雨が降ると 小川が出来 ♫』 とか、『マリモの歌』を、教えてくれました。
マリモの歌を聞いていると、バスガイドさんのことを思い出しました。
私達のバスガイドさん、 7台のバスの中で1番、細身で綺麗でした。
紺のスカートに白いブラウス、パーマのかかった短めの髪に、小さい紺の帽子を、『横ちょ』に被り、ビン留で、落ちないように留めていました。
白いブラウスの後ろ姿に、ブラジャーが透けて見えたのですが、いやらしさは、全くなく、綺麗な人だな〜と 思っていました。
写真は有りませんが、あのバスガイドさんの顔は、今でもしっかり覚えています。
四角い、細長い小さめのマイクを持って、マリモの歌を歌っているバスガイドさんの姿を思い出します。
修学旅行解散の時、鹿島中学校の所で、私達もバスガイドさんも、泣きながら別れた記憶があります。
バスの中でバスガイドさんが 教えてくれた歌、ひとつは『雨が降ると~』って歌う『山賊の歌』、バスガイドさんが最初歌って、その後を私達が追っかけました。宇和島合唱団の『山賊の歌』の合唱、バスの中での光景が思い出されます。 もう一つは、芹洋子が歌う『マリモの歌』でした。 YouTubeで聴けます。
(2021年1月6日 記)
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務
↓『山賊の歌』
↓『マリモの歌』
マリモの歌、懐かしいですね。阿寒湖畔で3年間働いていました。当時、観光汽船に乗るとこの曲が流れていました。ソノシートも持っていました。確か観光汽船の乗船口の売店で買ったものだと思います。