大夕張のバンドブーム | Kawauchi Masami
うたた寝をしていると、ラジオから長渕剛の『乾杯』が流れてきました、1980年の曲です。
私は、1977年結婚したので、『乾杯』の詩が、なんか重なるような、気がします。
大夕張で知り合い、南部で大きな舞台に立ち、2人で歩き始めた道。色々な事がありました。ほんと、色んな事あったな〜。
協和会館別館でのバンド練習
協和会館が有って、駅から見てその手前隣りに、別館が有りました。別館の横の小屋には、霊柩馬車が置いてありました。別館は、結婚式などに、使われていました。又別館の前には、三菱の組合が有りまして、そこへ行って別館の部屋を借りるのを申し込めば、空いてる時は、誰でも借りれました。
私は16歳ごろバンドを組んでいたので よく借りました。昭和45、6年のことです。
バンドの名前は、『カワーズ』って言いました。 私のニックネーム『カワズ』でした。『カワズ 飛び込む 水の音』のカワズです。 小学生の時、湯浅先生が付けてくれました。
リードギターに、春日町の横山理容店に勤めていた人で名前忘れました。初めての曲が、ベンチャーズの『ブルドック』でした。
私は三菱の少年工で坑外自治会だったので、空いていれば、いつでも借りれました。なので、楽器は別館の押し入れにしまって帰りました。 別館の管理者にも了承して貰いました。
別館の中の写真です。
私の、春日町の6畳での写真です。
そのころは、GSの最後の時期で、別館では、色んなバンドが利用してました。フォークブームから、1974年〜1975年頃カラオケが広まり、音楽に合わせて歌えるようになりました。
私達は楽器に合わせて歌える楽しさを16歳から知っていました。カラオケはまだ無く、楽器に合わせて歌える事が、もの凄く楽しかったです。
はしだのりひこの『風』や、五つの赤い風船の『遠い世界に』、よく歌いました。
ダンスホール 『キャンドル』
宝町に、駒井さんの家の近くに、二階建ての建物がありました。一階は、元の『とらやのパン』工場でした。
そこの息子さん、私より、一つ年上でバンドを組んでいました。とらやのパン工場の後、ダンスホール『キャンドル』になっていました。
息子さんのバンド、生バンドで演奏してた事有りました。私達も生バンドで演奏した事が有ります。曲は、アニマルズの『朝日の当たる家』とか『ストップ・ザ・ミュージック』とか。
とらやの息子さんも、私達も高校生でした。
私達は高校生でしたが、ホールにはよく行きました。当然、補導員もよく来ました。そこで、補導員が来たら 『佐藤さん・佐藤さん・佐藤さん』って3回名前を呼んだら、補導員が来た連絡でした。
するとトイレに2つドアが有って、一つは二階に上がれる様になっていました。当時、半分のお客は高校生でした。マスターも黙認でしたね。
ホールでの生演奏、盛り上がりました。
ホールの半分以上が高校生で、工業・南高・東高の溜まり場でした。印象にあるのは、工業のバンド、うまかったです。 80%ぐらい高校生だったかも、しれません。
高校生がいなかったら、商売成り立たなかったかも?
マスターは、元のパン工場の社長さんでした。年配者でしたが、仲良くしていただきました。
当時のお金事情
当時、学校も会社も、土曜日休みでありませんでした。休みは日曜日だけで、 土曜日の夜しか遊べませんでした。
入場料は平日は200円。土曜日は人が集まるので、ホール入場料300円でした。
私、三菱の少年工で、1日、日当720円、高い方でした。相場食堂にウェイトレスで勤めていた女の子、1日の日当600円でした。 タバコのセブンスターが、100円で、ラーメンが120円の時代でした。
なので、当時の入場料300円は高かったですよ。ガソリンはL 45円の時代ですね。
私が、18歳になった時、坑内の採炭に行ったら、80000円くれると言われました。月の25日で割ると、採炭でも、1日3200円ですね。普通の坑内人は、月40000円ぐらいでした。
(2021年1月24日 記)
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。
『宝町とらやから聞こえるドラムの音』
今思えば、昭和44年か、45年ころ、鹿島中学校の登下校の時に、千年町児童公園を「ナナメ」に横切って毎日学校に通っていた。
それは、夕暮れの頃だから、下校時午後4時くらいのころだろうか。
宝町の住宅地の一角から(2階建の家だったことだけははっきりと覚えている)ドラムの音が聞こえてきていた。
それも一回や二回ではない。しばらくの間、ずっと同じように千年町の児童公園のあたりを通りかかると聞こえていた。
たぶん練習をしていたのだろう。
当時、ドラムの音などは、中学校でも聞いたことがなく、それこそ、TVで流れるグループサウンズの映像でしか見たことがなかっだ。それだけに、
「へえ-、大夕張にドラムをやっている人がいるんだ」
と強く印象が残ったのだった。
時代も、場所も自分の中の記憶と符合する。
きっと、この話に登場するバンドのお一人だったのだろう。