ヤマの男たち
2021-01-26
12809
昭和30年代前半
岳富町の辺りを炭労の旗を先頭に千年町方向に進んでいます。
賃金闘争。大夕張炭鉱労働組合の赤い旗を先頭に、『1方80円要求貫徹』の要求を掲げています。
背景には、左手から鹿島小学校の旧校舎や、泉町の住宅、消防から、緑町の住宅まで。
後ろには、昭和35.6年頃の舗装工事で立ち退きになる前の岳富町の商店街が写っています。宝沢の築堤のすぐわきにありました。向かいには新しい商店街の建物が建ち始めているようです。昭和34年頃の写真でしょうか。
このあたりは、戦後間もなく貸本店・飲食店などの粗末なつくりの店が数十件並んでいたということです。昭和32年頃には、火災が発生したこともあったらしい。道路の拡張工事の際に、岳富町と駅前商店街の向かい側に移転を余儀なくされたということです。
次の画像は、『昭和34年9月2日 鹿島小学校にソニー号がやってきた!』の映像の一コマです。
昭和34年の岳富町の街並が上空からとらえられています。
↓昭和34年、大夕張の上空をソニー号で飛ぶ。