木の摩擦熱で火を熾す試み | 高橋正朝 #24
前回#23で、鹿島東小学校時代、レンズの焦点で、紙に火をつける試みを書き込んだら、それに対する飯田さんのコメントだと、やはり大夕張の少年時代、同じことをやっていたんですね。
この、虫眼鏡のレンズの焦点で紙に火をつける試みは、他の少年たちもやっていました。 しかし、どういうわ けか、近所や同級生だった少女たちは、レンズによる火遊びはしていなかったように思う。
私がそう思っているだけで、実際は、少女たちもそのレンズによる火遊びはしていたのかもしれないが ••••••。
拡大率の大きなレンズだと、紙に火がついたかもしれないが、当時の大夕張だと、少年が買えるレンズは、せいぜい3倍ぐらいのものだったろうと思う。 現在でも、東京での日用品を売っている店でのレンズは、ほとんどが3倍どまりである。 それ以上の拡大率のレンズを買おうと思えば、専門店で求めるしかないようである。
消防設備士の義務講習で、火事のマレな原因として、金魚鉢によるレンズ効果で火事が発生したこともある、という説明を受けたこともあった。
この、金魚鉢のレンズ効果による火事は、我々が小学生のころから、よく知られていた。 当時のマンガはストーリーがチープなものが普通だったから、金魚鉢を利用して火事を起こして殺人をする、という探偵マンガもあった。 作者が誰だったかは、全然覚えていないが ••••••。
ギリシャ神話で、プロメテウスが天界の火を盗んで、人類に与えた、いう話がある。 人間が火を扱えるようになった、というのは、大きな事件だったろう。
人間が、火を扱える、ということで、ここで、また、マンガに言及することになる。
作者は誰だったか、これまた、全然覚えていない。 それぞれ別な作者によるモノで、原始人が、細い木を大木に跨ってキリモミしながら火を熾す場面である。 マンガではあるが、こんなことで、火が熾きるのかな、と疑問が生じた。 この疑問は、少年時代は、ず〜っと持ち続けた。
マンガは、基本的には総て絵空ごとであるくらい、アホだった私の少年時代でも認識はあった。 しかし、一部分には現実的なものもあった。 木が、摩擦熱で、火が熾きそうな気がしたのだ。
ある夏の日、明石町のブタ小屋があった小川の側の崖を下りて行き、シューパロ川に沿って、開拓につながっている吊橋のほうに向かって、1人で歩いて行った。 目的は何もない。
川の中や、川岸に、流れ着いた木の枝があった。 夏の日盛りだつたから、岸に打ち上げられた小枝は、表皮が剥がれ、白っぽい灰色になってカラカラに乾いている。 それらを見て、私は、ふっと、火を熾すことを企んだ。
マンガのようにキリモミはしなかったが、木と木を擦り合わせて、摩擦熱で火を熾そうとしたのだ。 小休止しながら、1時間ぐらいは原始人のマネをしていた。
結論として、火は着かなかった。
木の摩擦した部分は、指で触ったらかなり熱く、1〜2秒ですぐに指を離した。
後年、電気工事で、電流が流れているケーブルを素手で握って、どのくらいの熱さになっているかチェックしたことがある。 このとき、3秒間しか握ってられなかった。 そのケーブルの表面温度は、棒状温度計で測定したら、63℃だった。
いま思うに、少年時代の火を熾そうとした木の摩擦熱は、70℃ぐらいにはなっていたのではなかろうか。 あのとき、枯れ草があったなら、枯れ草を木の間にはさんで試したのだろうが、夏の真っ盛りで、付近には枯れ草はなかった。
枯れ草がなかったならなかったで、枯れた小枝を持ち帰り、家の周りの雑草を切って干しておき、後日試せばよいものを、というのは、大人になってからの後悔である。
(2021年1月30日 記)
昭和23年11月大夕張、明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。
以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
子どもの頃の疑問、解決されずずっと持ち続けることがあります。
いつも思っているわけでなく、心の底に抱き続けていて、ふとしたことで思い出すという感じ。
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木をきりもみのようにこすり火をつける、もこれでした。
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園山俊二さんの『原始人』漫画、『はじめ人間ゴン』『ギャートルズ』といった漫画にもそのような描写があって、簡単にできるような気になっていました。
時々、思い出してはやってみて、当然、簡単に火なんてつくわけがありません。
『おかしいな?』『もっと力をいれるのかな?』『時間が短いのか?』と思ってやっていても、飽きて、そのうち忘れてしまいます。そしてまた思い出して・・・・の繰り返しでした。
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回す力を大きくして(きりもみでなく道具をつかって)、燃えやすいもの(その時は、おがくず)を周りに置いておくという学習をしたのは、大人になってからのことでした。
火がついたのを見て、「やっぱり本当に火がつくんだ」と子どもの頃の疑問が、溶けたような気がしました。