野球のあいま
2021-03-22
11601
昭和30年ころ
鹿島小学校のグラウンド。西側の木造校舎。校舎の前の遊具が新しい。
雪どけの水がグラウンドにいっぱいに広がる。
坂の下には、緑町の住宅の屋根と浴場がわずかに見える。
鹿島小学校グラウンドでは、よく大人たちの野球の試合や練習が行われていた。スパイクとユニフォーム。バットとグローブを手に持ち、合間の記念撮影、そんな風景の中で撮られた写真だろうか。
私の父も野球のグローブをもっていた。左きき用の皮の固いグローブだった。炭砿病院の薬局に勤めていた父は、昭和20年代独身の頃、職場のチームで、そのグローブを使って試合に出ていたらしい。
昭和40年ころ、小学校中学年から高学年の頃、世の少年たち同様、王や長島に憧れていた。TVで8時半の男、宮田が出てくるとそれはもう巨人の勝利を確信し、その通りになった。
世の少年たち同様の流れで、おねだりしてグローブを買ってもらった。そうして、家にあった父のグローブが、柔らかい自分のグローブに比べて、あまりにも、固くて平べったいことに気がついた。
父とキャッチボールをしながら、よくあのグローブで、ボールが受けることができるな、といつも思っていた。
自分のグローブは、土手にあたってボールがこぼれないように、自分の手に合わせて、折り曲げてクセをつけるようにしていた。父のグローブは、固く開いていて、そんなことはまったくできない板のような形状をしていた。どうしてそんなカタチなんだ、といつも疑問に思っていた。
ちょうどこの写真に写っているようなそんなグローブだった。