大夕張神社 その由来
昭和47年頃の大夕張神社
家の近くの公園のライラックが紫の花を咲かせています。もうすぐ、6月。
6月の大夕張の野は一面色とりどりのルピナスの花で、短い初夏が彩られていました。
私の住む札幌では例年5月に多くの小学校の運動会、毎年6月14・15・16日には,北海道神宮の例大祭が行なわれます。
初夏の、季候的にはとても良い時期です。かつて5月に行なわれていた山神祭も、その北海道神宮のお祭りに合わせて山神祭が行なわれるようになりました。
子供の時代のにぎやかで楽しかったお祭り。
大夕張神社の由来について,書き留めておきます。(『鹿島のあゆみ』から)
大夕張山神社は、富士見町緑ヶ丘の一角標高360メートルの丘にあった。
昭和4年5月9日、三菱大夕張礦業所が南部から大夕張へ移るに際して、炭鉱守護のため祭祠した。
祭神は夕張神社と同じく、
・大山祗命
・大国主命
・茅野姫命
の三柱を奉祀し,ご神体とした。
それぞれ、
炭山守護
産業隆昌
開拓、結び・商工隆昌
の神様として祭られた。
当初,神職がいなかった。
そこで、式事祭典の際には、岩見沢や室蘭から来てもらっていた。
昭和22年夕張神社に管理祭儀を依頼した。
同時に、大夕張神社と名称を変更するとともに、伊藤卯三郎氏が宮司代理として奉仕し、昭和33年に大夕張神社の宮司となる。
維持は主として大夕張礦業所があたった。
氏子も多数にのぼり、四国よりご神体を奉祭したこともあった。
閉山後は廃社となり、ご神体は健保会館(武徳殿)の神殿に安置されていた。
毎年5月11日より3日間、祭典を執行していた。
昭和30年代のはじめ頃、坑員の稼働効率から、北海道神宮の大祭典と日程をあわせ(札幌祭り)6月14日より3日間を山神祭典とした。
鹿島小学校下に出店が30店あまりもできて大変なにぎわいをみせ、協和会館その他で盛大な催し物がおこなわれた。大人をはじめ、子供たちの大きな楽しみであった。