朝方の夢 | 夕輝 文敏
夢を見た。
誰もいない朽ち果てた建物の中を、一人で歩いていた。
建物を通り抜けると、健保会館が大きく聳え立っていた。
そこだけが、まだ生きているかのように生気を放っていた。
そして、道路の向こうからは沢山の人が、浴衣姿で歩いて来るのが見えた。その人の波は、遥か官行(初音沢)から続いているかのようであった。
「あっ、今日は神社で花火大会があるんだ」
私は、急に嬉しくなってきた。
「みんなが、花火大会を見に、も一度集まってくる...」
再び健保会館へ目を移すと、富士見町の辺りにまだ堅固そうな住宅が3軒見えてきた。
「そうだ、あそこはAの家だ。よし、誘って一緒に花火を見に行こう」
私はそう思い立つと走り出した。
住宅に近づくと,大きな看板が立てられてあった。そこには「移転先ともう人が住んでいない旨」が、大きな白い文字で書かれていた。
庭先には、美しい花達が沢山咲いているのに、中を覗くと空家になっていた。Aに会えると思って気持ちが高揚していたが、もうそこには、Aの家族は誰も住んでいなかった。
「この街にはもう誰もいない」
そんな現実を思い知らされた気持ちになった。
そして、元の場所に戻ると、健保会館もなく人の波も消え、原野になってしまった空間が見えるだけであった。
そのあまりの落差にどうしようもない「悔しさ」がこみ上げてきた。そのとき、まだ解体工事もはじまっていないのに、ガラスが破られ荒廃した姿に変えられてしまった鹿島小学校が、目の前に浮かんできた。
そこで夢から覚め、目を開けると朝になっていた。夢とはわかっていても「悔しさ」だけは覚めることもなく残っていた。
どうせ夢を見るなら、活気のあった頃の大夕張の姿と出会いたい。
夢から覚めて悔しさが残るなら、懐かしい友人たちと沢山語り明かしたい。
そんなやるせない想いが残る「朝方の夢」を見た。
(1999年09月12日 記)
(筆者紹介)
夕張市鹿島生まれ
生まれてから高校卒業までの18年間を大夕張で過ごす。『ふるさと大夕張』にはしばしば投稿していたようだが、素顔は謎である。札幌在住。