町を背に 神社にて (昭和37年)
2021-06-10
2022-06-15
11610
昭和37年10月9日
大夕張全体を見渡せる場所。大夕張を出た人々が、大夕張を訪れたときには必ずここを訪れる。
祖父の思い出 【飯田雅人】
この写真にうつっているのは、私の祖父の長谷川安造です。祖父は鹿島小学校の教員(昭和13年~昭和31年)でしたが、この年はすでに夕張市立富野小学校の校長として勤務していました。
おそらくですが、この日は、鹿島小学校の研究会があったのではないかと思います。
私が小学校低学年の頃、祖父が突然教室に入ってきて、「なぜおじいちゃんが教室にきたんだろう?」と混乱した記憶があります。
この日、鹿島小学校の校庭に夕鉄バスが乗り入れている、もう一枚の同じ日の写真が残っています。
大夕張が一番輝いていた頃 【ヒロ】(2006.4.22)
大夕張が一番輝いていた頃でしょうか。
今年の春も、この場所に立ち、ふるさとの姿を眺めてきます。
入学式にお参りした神社 【コンちゃん】(2005/12/02 _ 05:11:56)
私は近藤甫と申します。
昭和14年15年に銭湯の隣に有った幼稚園に2年行きました。
昭和16年には鹿島小学校に父と一緒に、入学日に学校の校庭の山の中腹あたりにあった神社にお参りして入学式に行きました。
私の従姉兄、看護婦の佐野さんとか、炭鉱に勤務していた近藤さんで、父も炭鉱に勤めてました。弟もここで生まれてます。
昭和16年の秋頃、父が病にかかり一家、上磯に移転し、上磯の谷川小学校に転校しました、この頃から生まれてはじめて物心が付いたと思います。思い出深い所です。以上。
林 剛 先生 【山本栄子】
富野小学校❗ 私は中学生で 鹿島小から林剛先生がそちらに赴任してて 友達と二度遊びに行きました 学校にも行き 複式で 体育館の小さいのに😲