セルロイドと鉛筆キャップとマッチ|高橋正朝 #44
我々の子ども時代には、身の周りのプラスチック製品といえば、セルロイドだった。
ガラガラなど赤ちゃん用の玩具もセルロイドだった。
お祭りやお盆のときに出店で買うお面もセルロイドだった。
ひと括りにセルロイドといっても、種類があるようで、写真や映画のフィルムは、私が生まれたころには、燃えにくいモノに置き換わったようである。
しかし、基本的には、セルロイド類は燃えやすい。
しかも、空気中の酸素と結びつき、石炭のように蓄熱して発火し、運が悪いと火災となる。
したがって、セルロイドは、消防法で、危険物に指定されている。
ノートに使う下敷きは、どういうわけか、小学校4年生ぐらいまで、燃えやすいセルロイドだった。
筆箱のほうは、一足先に、燃えにくい丈夫なモノに置き換わっていた。
それまでのセルロイドの筆箱は割れやすかった。 特に、角の部分にヒビが入りやすかった。
当時、筆箱に入れるモノは、主役の鉛筆、消しゴム、そして鉛筆削り器である。
鉛筆削り器の代わりに、ナイフを入れている生徒もいる。
折り畳んでいたプラスチックカバーを真っ直ぐに開き、薄刃の半身がプラスチックに埋め込まれたナイフで、鉛筆を削っていた。
肥後の守を学校に持ってくるのは、危ないということで禁止されていた。
クルクル回す鉛筆削り器は、鉛筆の芯が折れやすいので、私は、2年生のときには、ナイフを使用していた。
当時の鉛筆は質が悪く、鉛筆の木が削りにくいものがあった。
その上、芯に不純物が混じっていることもあり、そのときは、紙に字を書くとき、滑らかに書くことができず、引っかかるのだ。
そういうときは、露出している芯を折り、休み時間に、鉛筆を削って試し書きを1〜2回繰り返して、普通の芯を探り出した。
そういう、品質の悪い鉛筆が売られていた時代なので、芯を保護するため、キャップをつける児童もいた。
このキャップは2種類あり、単に芯を保護するモノと、チビた鉛筆を更に使用するための、補助ロッドのキャップがあったのは、皆さんご存知のとおり。
これら2種類のキャップは、現在でも文房具店で見かけることがある。
当時のセルロイドの下敷きは、鉛筆で、文字を書いたり、マンガを描いたりすることができた。
私は、授業中に、静かにしているのだが、空想の世界に入り込み、下敷きにマンガばかり描いていた。
下敷きの表裏が、マンガでいっぱいになると、それを消しゴムで消し、またマンガを描くという、まことに不埒な生徒だった。
ペンシルロケットという名称を知ったのは、鹿島東小学校2年生のときである。
マンガ雑誌の科学的な読み物記事のなかで知った。
敗戦で、航空機の製造はおろか、研究さえも占領軍から禁止され、金もなく、糸川英夫 が中心になって、身の丈にあったロケットの開発に取り組み、最初に飛ばしたロケットだ。 これも、皆さんご存知のとおりだ。
ウィキペディアでチェックしたら、最初にペンシルロケットを公開試射したのは、1955年4月12日となっている。 私が鹿島東小学校に入学した年だ。
1956年、メルボルンオリンピックで、山中毅( ヤマナカ ツヨシ ) が、男子400m自由形と1500m自由形で銀メダルをとった。 このことは、私は、新聞記事で知った。 北海道新聞の夕刊である。
新聞では、大きな活字で、豪州と書かれていた。
私は、その見出しを見て、モウシュウ、モウシュウ、と繰り返し言っていたら、母親に、ゴウシュウと読むんだよと訂正された。
オーストラリアという国名は、絵本やマンガで、カンガルーの棲息地として知っていた。 しかし、豪州という名称は知らなかった。 マ、妹に、意見の読み方を、イミと教えるくらいだから、こういう間違いは別に不思議ではないのだが ••••••。
蒙古の蒙と、豪州の豪を混同していたようだ。
このことで不思議なのは、蒙古も、豪州も、小学校2年生で習う漢字や地名ではない。 勉強に無関心な私が、なぜ蒙古という名称を知っていたのか、今となってはわからない。
混同はあるものの、蒙古の漢字表記を見てはいたようだ。
漢字はさっぱりわからないが、どうも、この頃から、新聞を見始めたらしい。
上記で、新聞社名を、北海道新聞と断定的に書いたのは、当時の夕刊に、金親堅太郎 の4コママンガ、ニタリ君というのが連載されていたからだ。
ここから、ようやく本筋に戻る。
糸川英夫 のペンシルロケットのモノマネで、手製のというか、危険なオモチャというか、ペンシルロケットを作成して、時どき、小さな事故であるが、新聞に載るようになった。
それを何回か読んでいた私は、私も、ロケットモドキを飛ばしてみようと、思い立った。 小学校4年生の今頃の時期である。
火薬は、当時、家庭で普通に常備していた大形のマッチ箱からマッチを取り出し、軸の先端に着けられていた濃い桃色のモノを、上記の鉛筆削りナイフで削ぎ落とした。
1本のマッチの軸の火薬量なんて、わずかなものだ。 しかし、私は、こういうことには実に熱心になる。 手間暇惜しまない。
これを、鉛筆キャップの半分ぐらいまで集め、セルロイドの下敷きを切り刻み、マッチの火薬と混合し、それをキャップに詰めて下部を紙で封じ、その紙の端は、キャップの外側に折り曲げて輪ゴムで留めた。
それを家の外に持ち出した。
実験場所は、家の前の道路と大夕張鉄道の間の空き地だ。
そこに、十能で窪みをつくり、20cmぐらいの長さの溝をつくった。 深さは3cmぐらい。 導火線は、溝に撒いたマッチの軸の火薬だ。
導火線にマッチで火をつけた。
シューッという音とともに、キャップロケットは、5cmぐらい飛び上がってそれでオシマイ。
マ、こんなもんだろうなと、思った。
さらに工夫をして、もっといいモノを作ろうという気はおきなかった。
ここまでに至る作業には手間暇は惜しまないのに、結果が期待外れになると諦めが早いのである。
これも私の大きな欠点だなぁ ••••••。
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。