熊撃ち

19441

 昭和30年代

 撮影の詳細は不明だが、鹿島小学校郷土室にあった写真。

 

 戦後、栃木の男ばかりの6人兄弟の末っ子だった父が、三菱大夕張に就職がきまり、家族に「北海道には熊がいるのに、どうしてそんな危険なところへ行くか」と猛反対を受けた、という話を、母がよく父や私たち兄弟のいる前でも話していた。

 その話がでる度に、「大夕張の街には熊なんていないのになあ。本州の人は心配しすぎだよ」と思いながら半信半疑で聞いていた。

 たしかに、大夕張の街では、熊が歩いているのを見たことはなかった。しかし、熊がでて、「近所の誰々さんが、鉄砲をもって山に入った」、「コクワの実のなるところは熊に気をつけろ」という話や、「冬眠前の季節は、羆がでるから山に入っては行けない」という話は、良く耳にした。

 狭い町域に2万人以上暮らした町には出なかったかもしれないが、一歩、山のふところに入ると、そこは紛れもなく、ヒグマの生息域だった。

 大夕張の中でも、明石町の開拓橋(白銀橋)をわたった先の白金地区は、数軒の戸数で、夕張岳の麓で原野を開拓に挑み、農地を開き『開拓』とよばれていた。

 白金の人々にとっては、過酷な環境で熊との共存を余儀なくされた。

 そんな開拓・白金地区の歴史を伝える写真であるのかもしれない。

 

 

白黒写真に着色した画像

 

HUNTERと書かれているのだろう腕章。親子ほども年の差がありそうだ。

 

熊撃ち 【泊川俊徳】

 2004年の夏、北の零年のセット入り口に8月25日でしたか『熊出没』の看板が出てました。

 
 個人的には 大夕張での熊の思い出は、とくに無いのですが、子供の頃 本間文房具店の並びにあった伊藤玩具店の主人が、鉄砲で熊撃ちに犬を連れて出かけました。

 
 いざ熊に遭遇した時、鉄砲の調子が悪く、弾が出ないアクシデント。

 その時、愛犬が、勇敢に熊と対決しました。しかし、生憎、熊の方が強かった。

 愛犬は熊に噛まれ、爪にひっかけられ、ボロ雑巾の様な、気の毒な姿で帰って来ました。

 
 犬は、重症の傷でしたが、運良く命は助かり、玩具店の主人は、この犬が 俺を助けてくれたと言ってました。

 
 普通、猟犬は獲物には飛び掛からない様に、訓練するようです。

 相手が強いので、犬が負ける方が多いですからね。


熊取名人 【Masami Kawauchi】

 私は春日町の16番にいた河内です。

 その隣に、新井さんと言う、熊取名人がいました。

 子供は、私と同じ歳の昭和29年生まれです。

 

 新井さんの家に、熊の剥製がありました。もしかしたら、知っているかもですね。

 うちの親父も昔、下夕で、開拓していた時、鉄砲を持っていたと聞いています。

 

 それで、新井さんの取って来た熊を、サバク手伝いをしていましたよ。

 母は、熊の油を貰って来てました。

 熊の油は、よく切り傷につけていました。

 

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