熊撃ち
昭和30年代
撮影の詳細は不明だが、鹿島小学校郷土室にあった写真。
戦後、栃木の男ばかりの6人兄弟の末っ子だった父が、三菱大夕張に就職がきまり、家族に「北海道には熊がいるのに、どうしてそんな危険なところへ行くか」と猛反対を受けた、という話を、母がよく父や私たち兄弟のいる前でも話していた。
その話がでる度に、「大夕張の街には熊なんていないのになあ。本州の人は心配しすぎだよ」と思いながら半信半疑で聞いていた。
たしかに、大夕張の街では、熊が歩いているのを見たことはなかった。しかし、熊がでて、「近所の誰々さんが、鉄砲をもって山に入った」、「コクワの実のなるところは熊に気をつけろ」という話や、「冬眠前の季節は、羆がでるから山に入っては行けない」という話は、良く耳にした。
狭い町域に2万人以上暮らした町には出なかったかもしれないが、一歩、山のふところに入ると、そこは紛れもなく、ヒグマの生息域だった。
大夕張の中でも、明石町の開拓橋(白銀橋)をわたった先の白金地区は、数軒の戸数で、夕張岳の麓で原野を開拓に挑み、農地を開き『開拓』とよばれていた。
白金の人々にとっては、過酷な環境で熊との共存を余儀なくされた。
そんな開拓・白金地区の歴史を伝える写真であるのかもしれない。
熊撃ち 【泊川俊徳】
2004年の夏、北の零年のセット入り口に8月25日でしたか『熊出没』の看板が出てました。
個人的には 大夕張での熊の思い出は、とくに無いのですが、子供の頃 本間文房具店の並びにあった伊藤玩具店の主人が、鉄砲で熊撃ちに犬を連れて出かけました。
いざ熊に遭遇した時、鉄砲の調子が悪く、弾が出ないアクシデント。
その時、愛犬が、勇敢に熊と対決しました。しかし、生憎、熊の方が強かった。
愛犬は熊に噛まれ、爪にひっかけられ、ボロ雑巾の様な、気の毒な姿で帰って来ました。
犬は、重症の傷でしたが、運良く命は助かり、玩具店の主人は、この犬が 俺を助けてくれたと言ってました。
普通、猟犬は獲物には飛び掛からない様に、訓練するようです。
相手が強いので、犬が負ける方が多いですからね。
熊取名人 【Masami Kawauchi】
私は春日町の16番にいた河内です。
その隣に、新井さんと言う、熊取名人がいました。
子供は、私と同じ歳の昭和29年生まれです。
新井さんの家に、熊の剥製がありました。もしかしたら、知っているかもですね。
うちの親父も昔、下夕で、開拓していた時、鉄砲を持っていたと聞いています。
それで、新井さんの取って来た熊を、サバク手伝いをしていましたよ。
母は、熊の油を貰って来てました。
熊の油は、よく切り傷につけていました。