鹿島国民学校時代と戦後の思い出|T・A
2021-06-22
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鹿島小学校グランドは、大夕張住人にとって、最大のコミュニケーションの場所でした。
カエデの木は、その歴史を見つめてきたのです。
昭和17年、国民学校入学。その頃の出来事・・・。
戦前戦中の児童は、校門を通るとき教会のあった場所の奉安殿に向かって、お辞儀をしてから校内に入るのが習慣であった。
奉安殿には、昭和天皇皇后の御真影と、教育勅語が納められていた。
式典で校長先生が恭しく読み上げた。その間生徒は頭を垂れ神妙に聞き入る。
祝日は質素でも正装して登校したのです。
戦後、昭和24年頃、大リーグのサンフランシスコシールズ軍と、大夕張硬式野球チームと親善試合が行われた。
何十対〇。
ボールが線路まで飛んだのを記憶しています。
又、オリンピック世界記録保持者織田幹雄さんが、大夕張陸上部の指導に来ました。
賑やかなグランドを思い出します。
ジャンプ台下のスロープを華麗に滑った天才少年猪谷千春(現JOC委員)さんが来られ、後にオリンピック強化選手になった人がいました。
戦後、陸の孤島大夕張に、文化体育の向上に役割を果たしてくれた三菱大夕張鉱業所でした。
夕張市でも誇りある大夕張でした。
(2006/10/19 記)