「べんじょば球場」の思いで|成松 泰彦
2021-06-29
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緑町と弥生町との境界の道路を春日町の方に降りていくと、つり橋があったのを覚えてますか?
そのつり橋を渡ったところの球場が、なぜかしら《べんじょば球場》と、呼ばれていました。
私の父はハンターでもありまして、熊が出没したという連絡が入れば、熊退治に出かけて、よく射止めてきたものです。
当時の《MG-5》という整髪料のコマーシャルに、草刈正雄さんと一緒に、ブルーチックハウンドという大型犬が登場していたのを覚えてませんか?
101匹ワンちゃんのダルメシアンに、毛を長くしたような猟犬なのですが・・・その犬が私の家に猟犬として飼われており、父と毎日のように訓練をしに、そのべんじょば球場に出かけていったものです。
七夕祭りには、使用した短冊がぶら下がったままの柳の樹を、兄と、隣の吉田のたかちゃんと、べんじょば球場まで持って行き、つり橋の上から川に流したのを覚えています。
また、当時は 「U-コン」が流行っていましたよね。
友人たちと、自慢の飛行機を飛ばしに行ったのも、べんじょば球場でした。
冬は、その球場の山側の沢に、ダンボールを抱えて登り、真っ暗になるまで、尻すべりをして、しもやけだらけになったものです。
思いでいっぱいのべんじょば球場にも、つり橋がはやくに取り壊されて、行く術がなくなりましたよね。
(1998年10月24日 記)