「べんじょば球場」の思いで|成松 泰彦

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 緑町と弥生町との境界の道路を春日町の方に降りていくと、つり橋があったのを覚えてますか?

 そのつり橋を渡ったところの球場が、なぜかしら《べんじょば球場》と、呼ばれていました。

 
 私の父はハンターでもありまして、熊が出没したという連絡が入れば、熊退治に出かけて、よく射止めてきたものです。

 当時の《MG-5》という整髪料のコマーシャルに、草刈正雄さんと一緒に、ブルーチックハウンドという大型犬が登場していたのを覚えてませんか?
 

 101匹ワンちゃんのダルメシアンに、毛を長くしたような猟犬なのですが・・・その犬が私の家に猟犬として飼われており、父と毎日のように訓練をしに、そのべんじょば球場に出かけていったものです。

 

 七夕祭りには、使用した短冊がぶら下がったままの柳の樹を、兄と、隣の吉田のたかちゃんと、べんじょば球場まで持って行き、つり橋の上から川に流したのを覚えています。

 

 また、当時は 「U-コン」が流行っていましたよね。

 友人たちと、自慢の飛行機を飛ばしに行ったのも、べんじょば球場でした。

 

 冬は、その球場の山側の沢に、ダンボールを抱えて登り、真っ暗になるまで、尻すべりをして、しもやけだらけになったものです。

 

 思いでいっぱいのべんじょば球場にも、つり橋がはやくに取り壊されて、行く術がなくなりましたよね。

 

(1998年10月24日 記)



思い出ばなし

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