大夕張駅付近建物配置図

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大夕張駅付近

 昭和33年の資料から大夕張駅付近をピックアップしたもの。

 大夕張駅の線路の配線や、周辺の建物も描かれている。

 手書きの文字で、中心に「大夕張駅」、右に「◯通(○の中に通の字)」昭和30年代日本各地の駅前にあった日本通運、「購買会」。

 「大夕張駅」左には「警察」「消防」、通りを挟んで向いには、「郵便局」「保養所」「拓銀」「浴場」と連なる。

 手書きで書かれていたものを打ち直してあります。

 

 保養所の後ろはに、礦業所のアパート(寮)、「緑荘」と読める。

 戦後このあたりには(生協本店が出来る前)明倫寮があったという。

 当時の寮は独身寮だったところも、のち鉱員の増加により、改修されたりして、妻帯者も入れるようになったそうだ。

 

 また、下の写真は昭和20年代と思われる。

 大夕張駅ホームの向かい、鹿島小学校グラウンド側に、高い煙突のある建物と、倉庫のような建物が写っている。上の地図には掲載されていない。何の建物だったのだろう。

 そういえば、自分が鹿島小学校に通っていたころは、東側の門を出てすぐ坂の下には、左手にもそんな広いスペースがあったような気がする。

 ちょうど消防署と線路を挟んだ向かい側の位置。引込線もある。

白黒写真に着色した画像
昭和20年代の大夕張駅周辺
阿部 達也
阿部 達也

明倫寮らしき建物があった事は、母から聞いてました。

働ける人間は、裸一貫で来ても即就職する事が出来て、住まいも、食事も与えられたと言う。

 

生協本店の裏口に、名残りがありましたね。広場になってました。

 

春日町にも、最後の流れ者向けの直シン寮が昭和40〜41年位までにありました。

ほとんど明倫寮と同じ建物だったと聞いてます。

 

 (2021年6月30日)

1件のコメント

  • 昭和48年の大夕張駅構内の様子です。
    海も好きさんのツィートから。
    _

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