5寸釘 その2|高橋正朝 #51
私が、鹿島東小学校の3年生のとき、誰に教わったのか覚えていないが、5寸釘とエナメル線を利用して、電磁石をつくったことがあった。
この電磁石をつくる遊びは、私の周囲では男児だけだった。
ただ、この遊びは、学校の教室でするよりも、各自が家に帰ってするのが普通で、遊びといっても、簡単にできる理科の実験でもあるので、明石町番外地では見聞しなかっただけで、大夕張の他の地域では、女児もやっていた可能性はある。
この電磁石の遊びを、家に帰ってからやっていたのは、電池やエナメル線を、学校に持っていくのは、面倒くさかったからだろうと思う。
この電磁石をつくる遊びは、皆さんご存知のとおり、電池、エナメル線、釘があればできるお手軽なものだった。
鉄心としてはどのような鉄棒でもいいわけだが、当時の生活状況では、5寸釘が、最も手っ取り早く入手できるシロモノだった。
5寸釘よりも短い釘でもいいわけだが、なるべく強い磁石にしたいので、子どもが簡単に入手できるモノとしては、5寸釘が適当だった。
電池は、懐中電灯の電池を利用した。
当時のこととて、単1マンガン乾電池を使用した。 家には、新しいのか古いのか分からない乾電池が、引出しの中にいくつかあった。 電池は、新しいモノのほうが、当時は知らない用語だったが、電圧が高かろうと思って、なるべく新しいモノをチェックした。
テスターなんてものはおろか、電池チェッカーなんていうシロモノもない。 そういう計器の存在すら知らない。
誰でもやったことだが、懐中電灯に電池を入れ、スイッチを ON にし、豆球の光具合で、電池の電圧の高低を判断した。
電気の理屈など何も知らないが、電池の電圧が高ければ、豆球の光は強くなると、直感していた。 このこと自体は正しいのだが、この直感が、後に、下手すれば、死んだかもしれないことをやってしまう。
エナメル線は、当時としては、わりと手に入りやすかった。 大夕張のみならず、石炭産業のピーク時で、たいていの家では、1〜2年ぐらい前から、新しいラジオに買い替えていた。
古いラジオはゴミ捨て場に捨てられ、早いもの勝ちで、それを見つけた者は、真空管や部品を持ち帰った。
エナメル線も、そういう状況で得たモノだった。 もしかすると、私が最初に得たエナメル線は、十字手裏剣を作った、明石町番外地のオニイさんから貰ったモノだったかもしれない。
話しは、ちょっとはずれるが、捨てられてはいるが、古くはあるものの、使えそうなラジオ全体を持ち帰った者はいなかった。
家庭空間が狭かったから、持ち帰ったら、親に叱られる可能性が大だったからだと思う。 それと、当時、大夕張で、ザッピン屋( 雑品屋 )と呼称していた古物商は、古いラジオには見向きもしなかった。
さて、5寸釘、エナメル線、電池と、電磁石を作る部材がそろった。
エナメル線を、5寸釘に長く巻きつけると、電磁石が強くなる。
当時、一般家庭の懐中電灯は、単1乾電池を2本直列に入れるモノだった。
それで、電磁石の電源電池を1本でなく、2本直列にしてみたら、電磁石はもっと強くなるのではなかろうか ? と考えた。 はたして、そのとおりになった。
3本直列にしたら、また、さらに強い電磁石になった。
ここで、良からぬ考えが湧き出た。
エナメル線の両端を、電池ではなく、コンセントに突っ込んだら、もっと強い電磁石ができるのではないか ? という、アホな発想である。
これをやるときは、やはり、家に誰もいないときに実行した。 今ぐらいの時期で、まだ、たそがれる少し前のころだ。
5寸釘に巻きつけたエナメル線の両端を、ワクワクしながらコンセントに突っ込んだ。
バシッ !
コンセントに突っ込んだ途端、エナメル線のハシから火花が飛び散った。
幸いに、家の電源ヒューズは飛ばなかった。
壁についていた黒いコンセントは、火花がでた金属部分に、きわめて小さな電痕が生じた。 エナメル線が細かったからだ。 電線だったら、電痕はもっと大きかったろう。 家の電源ヒューズも飛んだろう。
差込口が、少し煤けたが、コンセントのボディが黒いため、まったく目立たない。 黙っていたら、誰にも気づかれない。 完全犯罪は成立 ???
しかし、もし、エナメル線のエナメルが剥げていて、運が悪ければ、私は感電死していたかもしれない。
(2021年7月31日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
昭和30年代、学習研究者から◯年生の『科学』や、◯年生の『学習』といような、学習雑が出ていて、その中の付録にもあったような気もします。
エナメル線の先端をコンセントに差し込むという好奇心は、チラリと頭の片隅にわいたようだけれど、その頃の漫画かなにかで、「ビリビリ」と白黒にキャラクターが感電するシーンがあり、その連想が、好奇心を押しとどめていました。でも、そんな知恵がついたのも高学年くらいからかもしれません。
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小学3年生、家に親のいない時間、子どもにとっては、淋しく、不安な、でも自由を手に入れたような誘惑に満ちた魅力的な時間でもありました。