七夕の思い出|工藤 央
2021-08-07
2022-08-07
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明石町に昭和45年6歳時まで過ごしていた工藤と申します。
父は夕張東高の教師をしており、校門脇の教員住宅に住んでおりました。
夏場にはバレー部の顧問をしていたため、よく生徒の方が合宿といってうちに泊まりこんでいたのを覚えています。
さて七夕の思い出といえば、明石橋の上から使命を終えた笹と短冊を、流していたことです。
3歳下の弟は幼かったため記憶にはないそうですが、私は毎年『短冊に書いた願い事をかなえるために川に流すのだよ』と言われ、泣きながら家族で流しに行きました。
幼稚園生だった私は泣き虫で、ちょっとした悲しみで涙を流してしまっていましたが、現在ではせいぜいドラマに感動して、妻に見つからないように涙を拭く程度です。
今では父母は札幌に、私は東京、弟は千葉で家庭を持ち、それぞれに別々の生活を営んでおります。
大夕張は、私にとって最初に記憶のある土地で、かつ生まれたところですので、ダムに沈んでしまうと聞いたときには非常にショックでした。
5年程前に大夕張を訪れた際、生まれた場所を見に行きましたが、基礎に使用していた石が残っているだけで、校門がなければわからない状況でした。
なにかとりとめもない話になりましたが、私にとって大夕張は永遠の思い出になっています。
(2000年01月06日 記)