三冊のアルバム

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1950年代 場所は『病院の裏の方・・・というが?』

 

 父が残したアルバムがある。

 父は大正14年生まれだから、昭和の歩みと、年齢が一緒でわかりやすい、と子どものころ、よく父の年齢のことについて、家族で話していた。

 だが父は昭和47年に亡くなったので、47歳までしか数えることはなかった。

 その後、昭和は、64年で終り、「父が生きていたら・・・」の年令は、平成に63を足さねばならなくなった。そして、いつしか数えることも、滅多にしなくなった。

 今年、あるところで、『今年は、昭和96年だ』と誰かがいっていたのを聞いた。その時、久しぶりに「父が生きていたら96か」と思い出した。昭和もずいぶん遠くなった。

    

 その父が残したアルバムが私の手元に三冊ある。

 

 一冊目は、昭和20年代、父の独身時代のアルバム。

 栃木県田沼市の裕福な医者の家庭で男ばかり6人兄弟の末子として産まれ、東京の薬科専門学校を出た。戦時のため卒業が繰り上がったという。兵隊に行く直前に戦争が終わり、縁があり三菱礦業に就職。

 父が大夕張の炭砿病院勤務になってからのものだ。

 最初のページには、同じポーズの女性数人が、丘の中腹に立ち、木々を背景に遠くを見上げている写真が貼られている(上の写真)。

 『ふるさと大夕張』には、「こだま」というタイトルで掲載した写真だ。きっと父のお気に入りだったのだろう。暗い戦争の世が終わり、明るく自由で、民主主義社会のスタートという時代の気運を象徴しているようで私も好きな写真だ。

 

 このアルバムには、勤務していた炭砿病院の同僚や、同年代の看護婦さん、婚約時代の母をモデルに撮った写真が多い。

 

 二冊目は、昭和29年、母との結婚写真から始まる。式の当日の様子から、洞爺湖、登別カルルス温泉への新婚旅行を経て、昭和30年代、子どもたちの誕生、成長の様子、家族の記念写真。

 

 どこの家庭でもよくみられる、家族の日常の一部が切り取られている。

 

 三冊目は、昭和40年代。職場の集合写真や、入院生活の様子が中心になる。

 最後は、昭和47年2月、富士見町集会所での葬儀、雪が積もる集会所前の道路で職場の同僚に見送られ、清水沢の葬祭場に向かう写真で終わる。アルバムの残り半分には、写真は貼られていない。

   

 時々、見返すことがある。

 一冊目の写真が一番明るい雰囲気。『2丁目3番地』では、『夕張岳山頂』の父の笑顔もそうだ。

 二冊目は、家族の写真。母や私・弟が、笑顔でそこにいる。

 三冊目は、楽しい思い出につながる写真は少ない。若い頃は、あまり見る気持ちがしなかった。悲しい思いにつながっていくからだ。

 最近は、父の表情の変化にも気がついた。そこにいる父は、笑顔が消え、闘病のためだろう、家族といるときも、どこか浮かない顔をしているように見える。

  

 昭和46年頃、札幌に一足先に出ていた自分に、炭砿病院に入院中だった父から手紙をもらったことがあった。読書好きの父が、当時発刊された司馬遼太郎の『坂の上の雲』(第四巻)を「帰省の折に買ってきて欲しい」という内容とともに、「病気のために、おまえたちに、辛い思いをかけていて、本当に申し訳なく思う」と書いてあった。

 

 普段口数も少なく、そんなことを面と向かって言うことのない父のそんな言葉は、ずっと心の底に忘れることなく残っていた。

 

 今なら、カメラの向こうの父の心情を、想像し理解できるような気がする。

 

 そうやって、客観的に父のアルバムを見返すことができる様になったのは最近のことだ。

 自分もそれなりに歳を取ってきたせいかもしれない。

 

  

 

 父と結婚生活16年、その後、二人の息子たちを育てあげた母は、年をとり、姉妹達が集まるとよく、

 

「こんなに白髪になってしまって、あっちに行った時、わたしを見つけてもらえるかしら」

 

と、言っていたそうだ。

 母が、亡くなった時、納骨堂の位牌には、父の隣に、ちゃんと自分の場所を用意してあった。

 

 その母が、父のもとに旅立ってから、今年は三回忌だった。併せて父の五十回忌でもあった。

 父は、弔い上げの法要だ。

 きっと、むこうで無事に再会をはたしたことだろう。  

 

 私も、今年で大夕張を出てちょうど50年、これも区切りの年かとも思う。

 

 

 写真を見ていると、そこに写る人達や、モノたちの表情が生き生きと輝きだし、背景の潜む物音やざわめきまでも聞こえてくるようだ。

 

 『ふるさと大夕張』に掲載している写真や文章を読んで、すでにない大夕張での、そこで暮らした家族の、家庭の、生活一コマ一コマが、興味深く感じられ、そこにうつる人たちの思いに、今なら幾ばくかなりとも、共感できるような気がする。

  

 父のアルバムの中の写真は、場所がよくわからないものだったり、どんな場面なのか状況がよくわからないものも多いが、遠くなった大夕張の土地と人物に思いをはせながら、掲載していこうと思う。

 


 

 

ふるさと大夕張2丁目3番地

 

 

 

 

 

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