路面電車に揺られて|夕輝文敏

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 路面電車に、少し疲れた心を乗せると、路面電車は、優しく包み込んでくれるかもしれない。年の瀬も迫ったクリスマスの夜、私はそんな路面電車に出会った。

 

 その夜、私は一人ぽつりとグラスを傾け、店の窓から路面電車を眺めていた。

 

 電車の車窓の向こうには、昨夜の食卓テーブルが見えてくる。クリスマスイブの食事が、四人分用意され、真中には、大きなケーキが置かれている。妻と私は、時計を見ながら座っていた。

 

 その夜、二人の娘たちは遅く帰ってきた。仕事、友達との約束が、いつの間にか優先事項になっていた。これは、どこの家庭にでもあることで、特別なことではないのかもしれない。ただ、私たちは、まだ慣れていなかった。

 

 私は、グラスのウイスキーを飲み干すと、お代わりを頼んだ。そして、ポケットに手を入れ、キーホルダーを取り出す。

 

 昨夜、妻からプレゼントされたものだ。キーホルダーをカウンターに置くと、ウイスキーを一口飲んだ。少し心が暖かくなる。

 

 妻と初めて出会ったのも、ちょうど今頃の季節であった。港町の洒落たレストランで、食事をしながらクリスマスイブを、二人で過ごしたことがあった。もう、二十数年前のことであったが、ふと思い出した。

 

 グラスを空けると、私は店を出た。

 

 街は、イルミネーションに包まれていた。白く積もった雪に、それらの光が反射し、通りは、灯りに満ちていた。灯りの中を、人々が歩いて行く。

 

 それぞれの人にとって、今年はどんな一年であったのだろう。心の中は見えないが、灯りに包まれている人々は、幸せそうに見える。そのことに、ホットしたものを感じながら、私は電停に向かって歩き出した。

 

 私にとっては、この一年は厳しいものであった。人は減らされ、仕事はきつくなってきている。この不景気で給料、ボーナスも削られ、職場には不満が満ちていた。それらの不満を一手に受け、業績を伸ばすために、無理を重ねてきた。

 

 私は急に、今年一年の疲れを感じてきた。少し重く感じ始めた足で、西四丁目から、すすきの行きの路面電車に乗った。

 

 まだ、九時を過ぎたばかりで、電車は空いていた。私は入口近くの座席に座った。向こう側の窓には、色取り取りの電球に輝くクリスマスツリーが見える。

 

 妻も今夜は職場の忘年会で、この辺りで飲んでいるはずだ。

 

「クリスマスの日に忘年会なんって、まったく」

 

と言いながら、結局欠席する訳にもいかず、今夜は薄野にいる。

 

 電車は、光の中をゆっくりと動き出す。ふと娘二人と、ここから終点まで電車に乗ったことを思い出した。あの頃、二人はまだ小学校の低学年であった。ちょうど、今のマンションに越してきた年の夏であった。

 

「お父さん、電車に乗りたい」

と下の子が言い出すと

 

「私も始まりから終わりまで乗ってみたい」

と上の子も言った。

 

 地下鉄と違い外の景色が見える分、路面電車は子供たちにとっては、新しい世界であった。およそ五〇分、電車に揺られて、私たちは車窓に広がる景色を楽しんだ。あれから何年経ったのだろうか。新しい世界も、今では日常の風景の一部になっていた。あれ以来、終点まで電車に乗ったことはなかった。

 

 そんなことを思い出しているうちに、電車は西線六条の電停に差し掛かってきた。そのとき、路地の奥に、古い木造の建物が見えてきた。それは、かつて子供の頃暮らしていた、炭鉱長屋に似ているような気がしてきた。私は、急にその建物を確かめたくなり、電車を降りた。

 

 近くで見ると一軒家ではあったが、作りは炭住そのものに見えた。今どき、良くこんな建物が残っていたと、感心するほどであった。

 

 建物の前には、大きな赤提灯があり「居酒屋」と書かれていた。だが、店の名前はなかった。私は一瞬ためらったが、思い切って店の戸を開けた。

 

中に入ってみると、客は誰もいなかった。戸を閉めると

 

「いらっしゃいませ」と声がした。

 

 奥から紺の絣を着た、四十を少し過ぎたぐらいの女将が出てきた。

 

 奥といっても、六人ぐらいがやっとの、カウンターだけの小さな店であった。そのカウンターの左横に、居宅らしい奥が見えていた。

 

 私は、入口近くの椅子に座った。

 

「良かった。今夜初めてのお客さんが来てくれて」

と女将は嬉しそうに言うと、湯気の立ったお絞りを取り出した。

 

「今夜初めての客かい。クリスマスなのに、それは淋しいね」

と私はお絞りを受け取ろうとした。

 

「熱いから、気をつけてね」

と女将は渡してくれた。

 

 私は「大丈夫だよ」と言いながらお絞りを手に取った。

 

 すると、あまりの熱さに「あっち」と言って、おしぼりをカウンターに落としてしまった。

 

「だから、言ったでしょう」

と女将は笑いながら言った。

 

 まるで、私を子ども扱いしているようで失礼だと思ったが、女将の笑い顔を見ているうちに、何故だか、懐かしい気持ちになってきた。女将だけではなく、この建物全体が懐かしく感じられた。

 

 私がおしぼりで手を拭き終わると

 

「外は寒かったでしょう。もっとストーブの側に来たら」

と女将は言った。

 

 私は、促されるままに席を移った。そして、近くでストーブを良く見ると、驚きの声をあげてしまった。

 

「あっれ、これって、フジキの石炭ストーブだよね。良くまあ」

 

「冬はやっぱり、石炭じゃないとね。石油ストーブではとても」

 

 女将は少し自慢そうに言った。

 

 私は両手をストーブにかざしながら

 

「本当だね。暖かさが全然違うね」

と言った。

 

「そうでしょう。良かったわ、喜んでもらえて」

女将は、そう言いながらストーブの側に行くと、湯気をもくもくとあげている薬缶に、水を足した。

「飲み物は何にします」

女将はカウンターに戻りながら言った。

「えーと、少しウイスキーを飲んできたからね」

私はそう言いながら、カウンターの横に並べられたボトルを見た。

 

 その中に、赤玉ポートワインがあった。昔、父親たちが、それを焼酎に割って飲んでいたのを思い出した。

「その赤玉ポートワインを、焼酎で割ったのをもらおうかなあ」

 

「あら、珍しいわね」

と女将は言うと、素早く壜を取り、グラスに注ぎ焼酎と一緒に混ぜ私の前に置いた。

 

 私は、懐かしそうにグラスを手にすると、一口飲んでみた。美味しかった。

 

「こんな味がしたんだ。実はこれを飲むのは、今夜が初めてなんだ。その壜を見たなら、昔親父たちがたまあに、こうして飲んでいるのを思い出してね」

 

「そうね、男たちはこうして飲んでいたわね。でも、この赤玉だって、いつでも買えるわけじゃなかったからね」

女将も思い出すように言った。

 

「女将さんも、昔炭鉱にいたのかい」

 

「ええ、あっち、こっちとね」

女将はお通しの煮付けを、小鉢に盛りながら言った。

 

「俺も、昔大夕張っていう炭鉱街にいたんだよ」

 

「大夕張って、あの夕張の奥にあった街ね。どうりで入ってきたときから、炭鉱の臭いがしていたもの」

 

「炭鉱の臭いって、どんな臭いさ。俺臭いかな」

私はそう言いながら、服の臭いを嗅ぎ出した。

 

「ばかね。鼻で感じるような臭いじゃないのよね」

と女将は少し笑いながら言った。

 そして

「人間ね、生まれ育った土地の臭いってね、一生消えないのよ。どんなに時がたっても、たとえ街がなくなって、原野になってもね。だって、その土地が、みんな記憶しているんだから」

と私のグラスを見ながら言った。

 

 私は、女将の言うことが、分かるような気がした。たとえ原野になっても、その土地が記憶している。その通りかもしれない。

 

「そうだね。たとえ原野になっても、土地が記憶している。だから、その土地の臭いも一生消えない」

私は、一口飲みながら言った。

 

「そんなに感心しないでくださいよ。ただ、そう思っただけなんですから」

と女将は少し恥ずかしそうに言った。

 

「女将さんも何か飲むかい」

私は親しみを込めて言った。

 

「それじゃ、同じ物いただこうかしら」

女将はグラスを手に取ると、一緒に乾杯をした。

 

「今年も一年間、ご苦労様でした。色々と大変だったのでしょうね。今年だけではないわ、故郷を出てから、随分と頑張られたのでしょう。私ね、人を見ると、その人の今までの歩みみたいものがわかるの。一生懸命働いて、ここまで出世できたのだから、立派なものですよ。本当に、ご苦労様」

そう言うと、女将はもう一度私のグラスに乾杯をした。

 

「ありがとう」

 私は少し照れ笑いを浮かべ、もう一度グラスを傾けた。ああ、美味しい酒だ。

 

 私は、女将の言葉が嬉しかった。確かに自分なりに、精一杯今日まで生きてきた。だが、そのことを親兄弟からも、こんな形ではっきりと、誉められたことはなかった。それだけに、今夜は妙に嬉しかった。

 

 その後、女将と炭鉱での生活の話や、私の家族の話などをしながら、小一時間ほど飲んでいた。そんなに飲んだつもりはなかったが、やはり焼酎割りは効いてきた。そのうち、女将とも、初対面でないような気がしてきた。今夜が初めてであったが、居心地の良い店であった。

 

 やがて店を出るとき、奥の部屋を見るとギターが立てかけてあった。私は女将に礼を言って店を出ると、西線六条の電停に向かって歩き出した。

 

「ああ、店の名を聞くのを忘れたな」

と思い出したが、次に行ったときに聞けば良いとそのまま歩き続けた。

 

 電停には、若い男女が立っていた。女の方は、少し男に寄り添っていた。二人は恋人なのだろうか。きっと、何処かで食事でもした帰りなのだろう。

 

 そんなことを考えているうちに、電車がやって来た。

 

 私は再び、すすきの行の電車に乗った。もう終電に近い時刻なのか、混み合っていた。

 

 外の寒さから開放され、暖かい空気に包まれると、私は急に酔いを感じてきた。そして眠気もさしてきた。そのときの私は、傍から見ると、随分と酔っているように見えたのだろう。まだ、学生のように見える若い女性が、席を譲ってくれた。最初は恐縮しながらも、結局は座ってしまった。そしてほんの数分、私は眠ってしまった。

 

 電車が動き出す振動で、目が覚めた。

 周りを見ると、乗客は私と、先ほどの男女の三人だけになっていた。

 

 私は、車窓から外を見た。電車は白い雪煙をあげながら走っていた。良く見ると、そこは原野であった。電車は、果てしなく広がる雪原を、ライトで照らし出し走っていた。

 

 そこは、私が生まれ育った街に繋がる、湖沿いの道であった。

 やがて、右手には炭住の灯りが見えてきた。まるで、暗闇に浮かびあがる生き物のように、爛々と輝いていた。

 

 この灯りの下で、沢山の人たちが、生活をしていた。今は生活の痕跡もなく、一面の原野になってしまったが、この土地には、人々の営みが、確かに刻み込まれている。

 

 やがて、駅前のバス停が見えてきた。そこには、札幌行きのバスが停まっていた。

 バスには、一人の少年が乗っていた。沢山の同級生が、見送りに来ていた。少年は緊張しながらも、必死で笑顔を繕っていた。そこにいるのは、十八歳の私であった。見送りの中には、父と妹もいた。母は、見送るのは嫌だと言って家にいた。

 

 これが、故郷との最後の別れであった。その後、私は再び帰ることはなかった。それから間もなく、炭鉱は閉山となり、人々は離散してしまった。

 

 私は、車窓から故郷を見ながら

「あの頃の街を、もっと、しっかりと見ておけば良かったなあ」

と呟いた。

 

 本当は、もっと、もっと、沢山故郷に帰りたかった。そんな思いが、胸に込みあげてきた。そして涙が流れ出した。走り去るバスも、見送る友人たちの顔も、涙で霞んでしまった。

 私は、しばらくそのまま、故郷のバス停を見ていた。

 

 突然、車窓は暗闇に包まれた。そして、徐々に明るくなり、桜の花びらが舞い出した。桜の木の隣に、古いアパートが見えてくる。そこは、かつて和子と暮らしていた、アパートであった。

 

 和子は、小学校五年のときに、美唄から母親と一緒に、この街にやって来た。何故か父親はいなかった。だが、どうしていないのかは、ついに聞くことはなかった。

 

 和子の母親は、街で小さな飲み屋をやっていた。

 中学一年のときに、和子と席が隣になった。和子は、周りの女子生徒とは少し雰囲気が違っていた。男子からは、どこかミステリアスな和子が、気になる存在になっていた。

 

 ある秋の日の放課後

「家に遊びに来ない」

と和子から誘われた。

 

 私たちは人目を避け、途中で待ち合わせをし、和子の家へと行った。私は女の子の家というよりは、和子の家が飲み屋であるということに、興味があった。

 

 店の入口から家の中に入った。母親が出てきて、私たちを迎い入れた。確か和服であったような気もするが、顔はもう覚えていない。

 

 私たちは、店のカウンターの前の椅子に、並んで座った。

 

 和子の母は、炭火を熾すと

「好きなもの何でも焼いてあげるから、言ってごらん」

と優しく言ってくれた。

 

「ねえ、山口君 焼鳥おいしいよ」

と和子も言った。

 

 私は以前から、ホルモンに興味があった。クラスの男子の間で、ホルモン焼が話題になったことがあった。焼鳥なら何となく分かるが、ホルモン焼については、誰も確かなところが分からなかった。

 

「結局、ホルモンって何だべなあ」

そう言うと皆黙り込んでしまった。

 

「山口君、遠慮しないで言ってちょうだい」

再び和子の母が促してくれた。すると

「ホルモンお願いします」

と私は思い切って言った。

 

「えっ、山口君ホルモン好きなんだ。将来飲んべいになるね」

と和子の母は笑いながら言った。

 

「そういう訳ではないんだけど」

私は下を向いて、少しはにかみながら言った。そして、何気なく店の奥を見ると、ギターが立てかけてあった。そう言えば、店の様子もさっきの店と同じような気もする。あの女将も、どことなく雰囲気が、和子の母に似ているような気がしてきた。だが、それも遠い昔のことで、今となっては、はっきりとはわからない。

 

ただ和子に

「おまえ ギター弾くのか」

と聞いたところ

「あのギターお父さんのものなの。お母さんが、いつも大切そうにしているんだ」

とぽつりと言ったのを、今でも覚えている。

 

 初雪の降る頃に、和子は父親と一緒に暮らすことになったと言って、青森の中学校へ転校して行った。それ以来、音信もなく和子のことは、すっかり忘れていた。

 

 それから七年後の夏に、私たちは大通公園で偶然に出会った。

 何度か会う内に、私たちは恋に落ちた。そして、私は和子のアパートに、転がり込んだ。

 あの頃、私は昼間は小さな工場で働き、夜は大学の二部に通っていた。両親は、閉山後神奈川に職を求め、妹と三人で暮らしていた。私は一人札幌に残っていた。仕事と学校の往復、そして生活の雑事に追われ、私は疲れていた。

 

 そんなときに、和子と再会した。和子は、私に安らぎを与えてくれた。だが、私は和子に何を、与えることができたのだろうか。

 

 夏の暑い日は、アパートの窓を開けると、路面電車の音が聞こえていた。

 あの頃は、アパートがあった円山公園まで、まだ電車が走っていた。

 

一度だけ和子に

「お母さん青森にいるのか」

と聞いたことがあった。

 

和子は、しばらく考えて

「お母さんのことは、もういいの。お父さんのことも」

と淋しそうに言った。

 

 それから私は、和子にお母さんの話はしないようにしていた。

 

 秋も深まった頃、和子は妊娠した。

 

「あのね、私、赤ちゃんができたみたい」

 

 和子は、デパートの勤めから帰ってくると、少し小さな声で言った。

 

 私は、黙って天井を見つめ、溜息をついた。そんな私を見ると和子は

「大丈夫、私おろすから。ねえ、だから心配しないで」

と私の顔を覗き込むようにして言った。

 

 その夜、私はとうとう和子に、何も言葉をかけなかった。それでいて、自分のエゴ、狡さを、和子に突き刺すように、投げつけていた。

 

 雪の降る前に、和子は一人で病院へ行き、子供をおろした。私は、そのことに気づかない振りをして、何もなかったかのように暮らしていた。和子も、いつもどおりに生活しているように見えた。

 

 その年のクリスマスに、和子はいなくなった。私は泊まり明けの仕事を終え、一日遅れのプレゼントを抱え、アパートに帰った。部屋に入ると、石油ストーブだけを残し、和子は荷物ごと消えていた。台所には置手紙があった。

 

 あの日以来、本当は、私は和子を恐れていた。そして、いつ別れが来るのかと、怯えていた。

 

 私は、手紙を手に取ると、申し訳ない気持ちで一杯になってきた。そして、これ以上自分のエゴと向き合うのが、たまらなく辛くなってきた。結局、私は手紙を読む勇気もなく、破り捨ててしまった。そして、アパートから逃げ出した。

 

 あれから、クリスマスになると和子のことを思い出し、あの手紙には何が書いてあったのかと、思い巡らすことが多くなってきた。

 

 車窓からは再び、桜の花びらが舞うのが見えた。私には、花びらが、あの日破り捨てた手紙の、紙吹雪のように思えてきた。

 

「ああ、酷いことをしてしまった」

私はそう呟くと、目を閉じた。そして、心の中であの日の和子に、何度も詫びていた。ふと人の気配がすると、あの男女が私の前に立っていた。恐る恐る二人の顔を見ると、男は悲しそうな目で私を見つめ、女は涙を流していた。

 

 私は思わず

「許してください」

と叫んでしまった。

 

 そのとき、電車は急に停まり灯りが消えた。そして、再び灯りが点くと、二人は消えていた。

 

 しばらくすると、電車のドアが開き

「お父さん、早く」

と小さな女の子が、私を見て手を振っていた。

 

 私は驚いた。そこには、まだ幼稚園生ぐらいの長女がいた。そして、妻と次女も立っていた。

 私は、あわてて電車を降りた。そこは、かつて親子四人が暮らしていた、中の島通のアパートの前であった。

 

「お父さん、みんなで、丸万に行くんだよ」

 次女は、甲高い声でそう言うと、私に手を繋いできた。久し振りに感じる、幼子の手の感触であった。小さな手の温もりが、とても懐かしくて、胸が一杯になってきた。

 

 丸万は、私たち家族が、馴染みにさせてもらっていた、寿司屋であった。

 小さな港町から、中の島通に初めてきた頃、私たち夫婦は、三歳の幼児と赤子を抱えていた。そんな子連れで、遠慮しがちに丸万寿司に入った。幼子と一緒では、店に嫌がられるかと思い、少し気持ちが萎縮していた。

 店の大将と女将さんは、そんな私たち親子を、優しく迎えてくれた。それどころか、帰りには、子供にお菓子まで持たせてくれた。

 

 それから、私たち家族は、丸万寿司の馴染みになった。「お祝いごとは丸万で」が、家族の合言葉になっていた。下の子が幼稚園生になるまで、私たちは中の島通のアパートで暮らした。今から思えば、懐かしい子育ての時期であった。

 

 私は、下の子と手を繋ぎながら、丸万へと歩き出した。

 やがて、暖簾が見えてくると、子供たちは駆け出した。上の子が先に店の戸を開けると

 

「お姉ちゃんずるい」

と下の子も後から続いた。

 

「いらっしゃいませ」

と大将の穏やかな声が、聞こえてくる。

「あらっ、よく来たわね」

後から女将さんの嬉しそうな声も、聞こえてくる。

 

 私たちが店に入ると

「外は寒かったでしょう」

と大将は、ストーブの側の椅子に座るように、促してくれた。

 女将さんも

「いらっしゃいませ」

と弾むような声で迎えてくれる。

 

 こうして私たち家族が、丸万寿司で過した大切なときは、長く続くことはなかった。私たちが中の島通から転居した後、大将は店を閉めてしまった。だが、今夜はこうして、また丸万寿司で皆が揃うことができた。

 

 大将も女将さんも、あの頃のままであった。ずっと、ずっと会いたいと願っていた、大切な人たちであった。

 丸万のカウンターは、相変わらず良く磨き込まれていた。店の入口のところには、女将さんが丹精に生けた花が、置かれていた。本当に気持ちの良い店だ。

 

「今夜は、お嬢さんたちも揃っているから、記念に写真を撮らせてもらいますよ」

と大将が言うと、女将さんは、奥から大将の愛機を持ってきた。

 

「カメラって言ったって、いつもの使い捨てカメラですがね」

と大将は笑いながら言って、私たちにレンズを向けると、シャッターを切った。

 

「念のために、もう一枚写しますよ、いいですか」

 大将は、名カメラマンのように、しっかりとまたシャッターを切った。

 

 丸万の大将は、写真が好きであった。何かにつけ、大将の愛機でお客さんを写していた。

 あの頃の家族写真は、どんなアルバムに収められているのだろうか。少し年老いた大将と女将さんは、それらの写真を見ながら、どんな話をしているのであろうか。きっと、沢山の思い出話で、幸せなときを過しているに違いない。

 

「お嬢さんたちは、何を握りますか」

 大将は娘たちに尋ねた。

 

二人とも大将が「お嬢さん」と話しかけるのが、少し大人扱いされたようで、とても気に入っていた。

 

「私は鉄火巻を願いします」

と上の子が言うと

 

「私はまぐろを巻いてください」

と下の子が言う。

 

 妻は「それを鉄火巻と言うのよ」と嗜めると、下の子は

 

「マグロでもいいんだよね。ねえ、おじさん」

と大将に話しかける。

 

 大将は「さあ、どうでしょうね」と優しく答えると

「長さはどうします」とまた娘たちに尋ねた。

 

「私は一本のままでお願いします」

上の子はすぐに答えた。

 

「私は、半分でお願いします」

と下の子も答える。

 

 腕の良い寿司職人に、巻物の長さを、自分好みにしてもらう。こんなことは、この子たちが大人になっても叶うものではないと、私も妻も思っていた。

 

 私たち夫婦は、転勤で、色んな土地を旅してきた。そして、新しい土地に行くと、好みの寿司屋を探した。酢が効いていて、シャリの握りがしっかりしていること、この二つが条件であった。

 

 丸万の寿司は、二人の好みにぴったりであった。それどころか、これ以上の寿司に出会うことはなかった。

 

 子供たちの寿司が出来上がった後、私たちは、上寿司と刺身の盛り合わせを頼み、飲み始めた。

 

 私はイカの握りを食べた。

「ああ、この味だなあ。大将、本当に美味しいです。丸万は、やっぱり最高だ」

 

 私は顔一杯に笑みを浮かべ、嬉しそうに言った。

 

「本当にそうですね。だって、どこに行ったって、これ以上の寿司には、出会えなかったものね」

と妻も目を輝かせながら言った。

 

「そう言ってもらえると、嬉しいですね」

大将は女将さんの方を見ながら、少し照れ臭そうに言った。

 

「本当にありがとうございます」

と女将さんも嬉しそうに言った。

 

「おばさん、紙と鉛筆、貸してください」

食べ終わると、上の子が言った。そして、下の子と一緒に、小上がりの和室のテーブルの前に座った。

 

 女将さんは、子供連れのお客さんが来ても良いように、子供が喜ぶような、折り紙、色鉛筆などを用意していた。

 

「はい、どうぞ」

と女将さんは目を細めて、娘たちに紙と色鉛筆を渡した。

 

子供たちは嬉しそうに

「ありがとうございます」

と声を弾ませて言うと、早速遊び始めた。

 

 子供たちにとっても、丸万は寿司を食べるだけではなく、ワクワクする遊びの空間でもあった。

 

 女将さんも、子供たちの横に座り、楽しそうに、子供たちの描く絵を眺めていた。

 その間、私たちは大将と話をしながら、ゆっくりと飲んでいた。

 

 今夜、ここには、全てが揃っていた。大好きな大将も女将さんも側にいる。何もかもが、幸せで満たされていた。

 

 少し疲れた年の瀬に、暖かくて、懐かしくて、そして優しいものが、体の中に流れ込んでくるのを感じていた。

 

「大将、女将さん、いつもありがとうございます。今夜は何だか、とっても嬉しくて」

私は思わずそう言った。妻も横で頷いていた。

 

「ありがとうなんて、とんでもないですよ。私たちこそ、こうしていつも、娘さんたちと一緒に店に来ていただいて」

大将は、相変わらず控えめに言った。

女将さんも

「そうですよ」

と子供たちの顔を見ながら言った。

 

 子供たちは、いつまでも女将さんの側で、絵を描き楽しそうに遊んでいた。

 ああ、この時間が、いつまでも続けば良いのにと思いながら、私は大将と女将さんの顔を見ていた。そして、私は幸せに包まれ、いつの間にか眠ってしまった。

 

 路面電車が電停に停まるときの振動で、私は目が覚めた。電車は終点「すすきの」に着いていた。

 私は、ゆっくりと、電車の中を見渡した。そして、何故自分がここにいるのか、良く飲込めず、しばらく呆然として座っていた。街のイルミネーションも消えていた。時計を見ると、十一時をとうに過ぎていた。

 

 そのとき、運転手がやって来て

「お客さん、終点ですよ。これで終電ですが、大丈夫ですか」

と心配そうに私の顔を覗き込むように言った。

 

私は、はっとして

「大丈夫です。大丈夫ですから」

と言うと、あわてて立ち上がり電車を降りた。すると、電停には妻が立っていた。

 

 私は驚き

「どうした」

と聞くと

「だって、タクシーを拾おうかと思ってここまで来たら、電車にあなたとよく似た人が見えたもんだから、でも自信がなくて。こっちこそびっくりよ」

 

 妻は、私を不思議そうに見ながら言った。

 私は今夜のことを、どう説明したら良いのか分からず、曖昧な顔で黙っていた。

 

すると

「また飲み過ぎて、電車を乗り過ごしたのでしょう」

と少し呆れたように言った。

 

「どうも、そうらしいんだ。でも夢の中で、皆で丸万へ行って、大将と女将さんに会えたんだ」

私は少し声を弾ませて言った。

 

「あら、それは良かったじゃない」

妻も嬉しそうに言った。

 

今夜出会った人たちが、夢の中の出来事なのか、あるいは現実なのか、今の私には良くわからない。ただ、ひどく心が痛むこともあったが、全てが、私の今までの人生の足跡であったことは、事実であった。できれば、誰も傷つけずに生きてきたかった。だが、それ自体が夢なのかもしれない。

 

 私は、今夜終電の電停で妻と会えたことに、どこか安堵していた。今夜のことは、後でゆっくりと妻に話そうと思った。妻なら分かってくれる、そんな気がしていた。

 

 私たちは、タクシーを拾うと、マンションへと向かった。西線六条の電停に差し掛かったとき、私は咄嗟に

「運転手さん、そこ右に曲がってもらえますか」

と言った。

「あら、どうしたの」

と妻は不思議そうに言った。

「ちょっと、確かめておきたい場所があってね」

と私は曖昧に答えた。

 

 電車通から角を曲がったところで、私はタクシーを降りた。妻も一緒に降り、私の後に続いた。私は、建物の前で立ち止まった。

 確かに、そこに建物はあった。だが、もう何年も前から空き家になっている状態であった。屋根には雪が高く積もり、窓ガラスも破れていた。

 

「あなた、ここなの。随分と古い家ね」

妻は怪訝そうに言った。

そのときふと隣を見ると、雪の積もった空き地に「売地」と書かれた看板が、立てられていた。

 

「隣の空き地だよ」

私は咄嗟に、看板を指し妻に言った。

 

「この売地なの」

と妻は言った。

 

「うん、良い土地があるって、職場の人に聞いたものだから。ここを買って、家でも建てようかと思ってなあ」と私は言った。

 

「今さら、一軒家なんて。それに雪掻きは、もうこりごりですよ。そう思って、今のマンション買ったのだから」

妻は笑いながら、あっさりと言った。

 

「それもそうだなあ。今さら、雪掻きはなあ」

と私も言うと、タクシーに戻った。

 

 今夜のことは、全て、路面電車の仕業なのだろうか。それとも、ただの幻なのだろうか。だが、路面電車に乗ることによって、私は懐かしい人たちと、会うことができた。そして、心が癒された。今年の年の瀬も、穏やかに過ぎようとしている。

 私は、そんなことを思いながら、妻の手を、ぎゅっと握った。すると、妻も少し笑みを浮かべ、握り返してくれた。

 

 眠りについた電車通を、タクシーは我が家へと走る。

 

 

(2011年 「さっぽろ市民文芸NO.28』 奨励賞受賞作)


(作者紹介)

夕張市鹿島生まれ
生まれてから高校卒業までの18年間を大夕張で過ごす。『ふるさと大夕張』にはしばしば投稿していたようだが、素顔は謎である。札幌在住。


yuki

1件のコメント

  • 発表年順に、夕輝文敏さんの作品を紹介してきましたが、嬉しいお知らせです。
    2011年、『さっぽろ市民文芸No.28』に掲載された奨励賞受賞作『路面電車に揺られて』を、今回、夕輝さんから、送っていただきました。
    『ふるさと大夕張』には、初掲載になります。
    夕輝文敏さんありがとうございました。
    _
    10年前の『新作』を、どうぞお楽しみください。

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