2002年 倒壊した地蔵堂
2021-08-16
2023-06-27
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『無縁供養・水子地蔵』が、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、昭和16年8月、大聖寺境内に以来建立されていた。
この他、水子供養地蔵は、大夕張のほとんどの寺院にあった。
2002年冬、大夕張の最後の建築物であった『位牌堂(地蔵堂)』が雪の重みで倒壊した。
このことは、内川さんの投稿で知った。
また、2002年(平成14年)8月11日の夕張メディアニュースにも掲載されたものを、知人が知らせてくれた。
このお堂は、願正寺と妙法寺の間を通って火葬場に向かう道路の脇にあった。
昭和3年から昭和60年代まで、いろいろな宗派のものが混在し、無縁仏も多いという。当時の記事によると、この建築物のあり方は、全国的にみても珍しかったという。
全国から働き場所を求めて、やってきたという炭坑町故の由来であろう。山峡深いこの地で、親戚縁者もなく、亡くなった人の最期を想像するだけで悲しい。
水没してしまった大夕張、『大夕張の開基以来の歴史の証』という言葉が、胸にしみる。
縁故者がわかった御霊は引き取られ、四体の地蔵様も紅葉山の願正寺に移設されたという。
記事の見出しには、『近く慰霊碑建立』とあるが、その後どうなったのだろう。
ちなみに、千年町にあった墓地だが、検索すると夕張市鹿島墓地として夕張市千年町の住所で出てくる。夕張市のサイトにも新規申込みを受け付けてはいないものの、市営墓地の一つとして存在している。想像だが、こちらの墓地に建立されたのかもしれない。
内川さんの「位牌堂(地蔵堂)」の記事はこちらから