故郷との邂逅 | 野口美代子

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 先週の13日、会社の昼休みにインターネットで遊んでいましたら、偶然、ここを拝見させていただきました。

 昭和24年大夕張栄町生まれ、鹿島小学校・鹿島中学校・夕張東高4期卒業、そして上京。

 閉山の昭和48年まで両親は栄町に住んでいました。

 
 私は、昭和43年に夕張東高校を卒業して上京、そのまま東京に住み着いてしまいました。

 閉山直前の昭和48年に1度大夕張へ帰郷しましたが、それが最後。

 
 便りも途絶え、微かにダムに沈むと言う噂を聴いただけで、新聞・テレビの報道も知らずにおりました。

 
 そして、この故郷の便りを読んでみて、心の奥に湧き上がるほのぼのとした思いに涙ぐみつつ、大夕張をこんなにも、慈しんで下さる人が沢山いらっしやると知り感動を覚えました。

 私の心の中には、本当はずっと北海道で(大夕張の近くで)暮らしたかったんだ、と言う無意識の思いが有ったことを改めて知りました。

 

 
 子供の頃、私の家は何かとごたごたしていて、早く大人になってこの街を出て行きたかったものでした。

 皆さんの投稿を読んで、私は自分を育ててくれた故郷を捨てたような悔いの様なものがこみ上げて来てしまいました。

 
 東京へ来てからも、何度か大夕張へは帰りましたが、札幌から夕鉄か三菱バスで通った石狩平野の地平線に沈む夕陽も、大夕張と共に思い出しておりました。

 

 大夕張の自然のダイナミックさ。

 山の壮大さも本州では北アルプス辺りまで行かなければ見られません。

 

 冬の降るような星空も、素晴らしかったですね。

 本当に星が降ってくる様な煌めき。美しい音が聞こえてくるようでした。

 
 顔がしばれるのも忘れて、真冬の星空を見ていましたっけ。

 あんな星空はめったに見れる処はありませんでしょうね。

 

 ラッセル車が雪煙を真っ青な空に吹き上げて走って行ったり、道路の際に積み上げられた雪だまりに、青い影を落としてたそがれて行った大夕張の冬。

 

 冬ゆえに春の喜びも大きかったですね。

 積もった雪の下から流れ出てくる雪解け水と共に吹いてくる春の生暖かい風が、ほっとしました。振り返ると何もかも愛しいです。

 
 ここに投稿されている方達は、私よりも15年位若い人達の様ですね。

 学校の先生のお名前が出てきても、知っている先生がいらっしやいません。転勤とかで既に居ないようです。


 堀田牛乳屋さんは覚えてました。

 

  
 それでは又、夏の思い出等を。

 

(2002年2月17日)


随想

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