迎え人(びと)|夕輝文敏

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 五月晴れのある日、洗車をしていると、女の子が近づいてきて、

 

「お父さん、ドライブに連れて行って」

  

と少し大きな声でいった。

 

 周りを見渡すと洗車場には私しかいなかった。

 

 女の子は私の前で立ち止まると、にっこりと笑った。

 

 しばらく私はその子を凝視した。

 

 間違いない。

 

 そこには、まだ10歳ぐらいの長女がいた。

 あの頃と同じく髪を肩まで伸ばし、Gパンにお気に入りの水色のトレーナーを着ていた。

 

 

 長女を最期に見たのは、もうずっと以前のことであった。

 鮮やかな色の花に埋もれて、静かに眠っているかのようであった。

 

 あともうひと月で、24歳の誕生日を迎える頃であった。

 

「やっと姿を見せてくれたんだ」

 

 私は心の中でそうつぶやいた。

 

「よしわかった。 何処へ行こうか」

 と長女に尋ねた。

 

「あの小学校の校庭がいいな。大きな木があって、そこで焚火して、バーベキューもしたいなあ」

 

 長女は目を輝かせていった。

 

 私は洗車を済ませると、長女を乗せ、あの街に向かって車を走らせた。

 あの街へは、もう10年以上帰っていない。

 

 

 20年ぐらい前、チャット仲間たちと春と秋の連休には、あの街の小学校に集まっていた。

 校庭のイタヤカエデの木のそばで、バーベキューをしたりして楽しんでいた。

 子供たちも親についてきて、焚火をしたり走り回って遊んでいた。

 いつしか集まりは消えたが、焚火と焼肉の記憶は子供たちの中に、楽しい思い出として植えこまれているようだ。

 

 

 時折長女は、私の顔を見ると、ニコリと笑い

 「楽しいね、お父さん」

といった。

 

 私も

「そうだね、昔4人で色んな所へ行ったね」

と言葉を返した。

「お母さんたちも、来ればよかったのにね」

と長女は、妻と次女がいないことを、残念がっていった。

 

 長沼を過ぎると、夕張に入った。そして清水沢にさしかかった。

 

 駅のあたりから、黒煙が青い空にたなびいていた。清水沢駅に、蒸気機関車が入っていたのだ。

 

「お父さん、ここからあれに乗って行こうよ」

と長女は少し高揚した声でいった。

 

「汽車に乗りたいのか」

「うん。だって一度も乗ったことなかったから...」

「そうか、乗ったことなかったか。それじゃ、汽車に乗って行こうか」

 

私がそういうと長女は嬉しそうに

「うん...」

と大きな声でこたえた。

 

 駅構内には、大きな黒光りする蒸気機関車が、煙と一緒に蒸気を噴き出していた。客車も3両つながっている。

 私が、小高い丘にある高校に通学していたときに、乗っていた汽車であった。

 私たちが乗った車両には、他に乗客はいなかった。

 

 長女と私は、窓側の座席に、向かい合って座った。

 

「懐かしいなあ、お父さん、この汽車に乗って高校に行ってたんだ」

と私がいうと

「えっ、お父さんたちって、贅沢だったんだね」

と長女がいった。

「贅沢...」

「だって、私たちは地下鉄と電車しか乗ったことないもの。だから、やっぱりお父さんたち贅沢だよ」

 

 私は、汽車通学が贅沢だという長女の話が可笑しくて、笑い出した。そして「そうか、贅沢か」といった。すると、長女もつられて笑い出した。

 

 やがて汽車が次の駅に着くと、大きな犬を連れた少年が、同じ車両に入って来た。

 

 少年は私たちのそばに来ると、頭をペコリと下げて微笑んだ。

 少年は紺色のパンツに白いシャツを着ていた。

 

「あっ...」

と私は声を出した。

 あの頃、校庭で長女たちと一緒に遊んでいた少年であった。

 その少年はいつも大きな犬をつれていた。

 長女は少年に

「ここに一緒に座ろう」

といい、窓側の席をあけた。

 

 少年はうなずくと、犬を連れて私たちの前に座った。

 長女は直ぐに犬をそばに引き寄せ

「よし、よし、いい子だね」

と頭をなぜた。

 犬も尻尾を振って嬉しそうにしていた。犬も長女を覚えているようであった。

 長女は動物が好きであった。しかし犬はとうとう飼うことはできなかった。

 

 私は少年に

「この子の名前は」

と尋ねると

「バウだよ、お父さん、もう忘れたの」

と長女は少したしなめるようにいった。

 

「ああ、そうだ、バウだ、バウ」

と私も犬の頭をなぜた。

 

「バウ、みんな覚えていてくれて良かったね」

と少年も嬉しそうにいった。

 バウは白い毛の長い大きな犬であった。人なっつこくて子供たちの人気者であった。

 バウは私たちのもとを離れると、車両の中を嬉しそうに走り回り、時々私たちの顔を見ては少し吠えたりしていた。

 

 やがて汽車はあの街の駅に着いた。

 駅といっても駅舎はすでになく、閑散としていた。

 

 私たちが降りると、汽車は直ぐに、もと来た方向へと戻って行った。

 私たちが手を振ると汽笛を鳴らし、運転士さんがこちらを向いて手を振ってくれた。

 あの頃の見慣れた顔であった。

 

「お父さん、行こう」

 長女に促され私たちは小学校の手前の坂を登った。

 校舎の建っていたあたりには、桜が咲いていた。

 この街の桜は5月の後半前後に開花を迎える。

 

「今年もちゃんと咲いているんだ」

 

 少年が嬉しそうにいった。バウもわかるのか、桜の木の周りを吠えながら回っていた。

 校庭には一面タンポポの花が咲いていた。それは黄色に包まれた絨毯のようであった。

 子供の頃は「タンポポの海」と呼んでいたのを私は思い出した。

 

 校庭の奥にあるイタヤカエデの木の方を見ると、車が1台あった。

 

「あっ、おじさん先に来ていたんだ」

 

 そういうと長女は駆け出した。少年とバウも続いた。

 仲間内からは「焼肉奉行」と呼ばれている友人である。みんな省略して奉行と呼んでいた。

 奉行は私の高校の先輩である。面倒見がよく、何をやらせても手際のよい人であった。

 

 奉行は、炭の袋を取り出し、バーベキューの準備に取り掛かっていた。

 私は

「来ていたんですか」

と声をかけた。

 

「今日はバーベキューしたいって聞いていたから、俺の出番だと思って。それに懐かしい顔も見たくてね」

奉行は、子供たちの顔を見ながら、嬉しそうにいった。

 

「そうだ、バウ、おまえの分もちゃんと用意したから待ってな」

奉行がそういうと、バウは一声吠えて、奉行の顔をなめようとした。

 

「バウ、おまえの気持ちはわかったから、落ち着け」

となだめていた。

 

 

 かつて、春と秋には仲間たちとここに集まり、火をおこし、ふるさとを堪能していた。

 子供たちが小さい頃は、我が家の大切な年間行事になっていた。

 それも、子供たちの部活がはじまると、参加する機会もなくなり、集まりもいつしか途絶えてしまった。

 

 でも、今日はこうしてまた集まることができた。

 みんないい顔をしている。

 イタヤカエデの木も風にそよいでいる。

 のどかな時間が流れていく。

 

「お父さん、焚火やろう」

 

 長女はバウの頭をなぜながらいった。

 

「それじゃみんなで小枝を集めてこよう」

 

 少年も一緒に校庭横の草むらに入った。今頃の季節は雑草もなく地形がよくわかる。

 見る人もいないのに、かつて家々の庭に植えられていた春の花たちは、競うように咲いていた。

 バウは動こうとせず、奉行のそばに張り付いていた。

 小枝も集まり火がおこされた。町の中では焚火はできないので、あの頃、ここに集まる子供たちにとっては、とても神聖な儀式であった。

 焚火の中にアルミにくるんだ芋を入れることもあったが、焼き加減が難しく、黒焦げになることが多かった。

 炎の中に皆の顔が浮かび上がってくる。

  

 時折ラインで近況を連絡しあっているが、それぞれ元気でいるようだ。

 

 我が家には、カメラ好きの奉行が撮った写真があった。

 奉行自慢のフイルムカメラニコンF2で撮ったものである。

 もう十数年前の秋に集まったときの写真だ。大人も子供もみんないい顔をしている。傍らにはバウもいる。

 あの中で、少年と少女だけが思い出の人となってしまった。二人ともまだ20代前半で、それぞれ病気と事故で早逝してしまった。

 

「さあ、準備できたぞ」

 みんなを呼ぶ奉行の声が校庭に響いた。

 

「おじさんの塩ホルモン本当に美味しいね」

 長女は少し熱い肉を口の中で持て余すように、それでいて嬉しそうにいった。

「懐かしい味だなあ。このホルモンお父さん大好きだった」

 少年も過ぎ去ったあの日々を思い出すようにいった。

「おじさんはみんなに喜んでもらえるのが、一番うれしいんだ。さあ、どんどん食べな」

 奉行は嬉しそうに肉を焼きだす。

 

 振り返ってみれば奉行がいたからこそ、あの春、秋のバーベキューは続いたのだと思う。今度会ったなら、改めて礼をいおうと思った。

 それからみんなで食べながら、とりとめのない話をしばらくしていた。

 

「ああ、食べた。おじさんもうごちそうさまだよ。ありがとうございます」

 

 少年は箸を置くと満足そうにいった。

 

「私ももうお腹がいっぱい。おじさん、どうもありがとう」

と長女もいった。

 

「えっ、まだ肉こんなにあるのに」

奉行は不満そうにいうと

「そうだ、腹ごなしにみんなで神社山に登ろう。久し振りだろう。うんそれがいい」

と納得したようにいった。

「そうだな。神社の桜、今年も咲いているのかな」

私はそういうと、ホームページにのっていた写真を思い出した。

 

 大人たちが社殿の横に輪を作って座り、楽しそうに花見をしている写真である。その正面のやや右に桜の木が入っていた。

 かつて人々が楽しんだ空間が、のどかに息づいていた。私の好きな写真である。

 

 神社山に続く道を登るにつれ、かつて炭住が張り付いていた地形が見えてくる。この大地にかつて2万もの人々が生活していた。

 この原野だけの風景では、外から入って来た人は想像することもできないことだろう。

 

 やがて階段に差しかかった。

 まだ雑草の伸びていないコンクリートの階段がはっきりと見える。

 

 バウは先に走り出し階段をどんどん登っていく。そして「早く」とせかすように私たちに吠えた。

 バウに続いてその階段をみんなで登りきると、たくさんの黄色い旗が見えてきた。

 

 その中に「鹿島中学校卒業生」と書かれた大きな旗があった。かなり痛んでいたがその文字はまだ読み取ることができた。

 少年は大きな木に括りつけられたその旗を手に取ると

 「これ、お父さんたちの旗だ。ここにお父さんと一緒に来たことがあるんだ」

と嬉しそうにいった。

 

 バウは少年の気持ちがわかるらしく、嬉しそうに尾っぽを振りながら木の周りをぐるぐる回っていた。

「お父さん、ここみんなと来たことある。旗もまだあって良かったね」

 

 長女も嬉しそうにいって、私の手をぎゅっと握ってきた。

 小さな手だ。それもとても暖かい愛しい手だ。この手と一緒につくってきた思い出が沢山ある。

 長女のぬくもりを感じながら、胸にこみあげてくるものがあった。

 すると、少年も私のもう片方の手をぎゅっと握り、そして微笑んだ。

 

 

 多分これは現実の世界の出来事ではないのだろう。

 かといって、すぐに消えてしまう幻のようなものでもない。

 年齢を重ねるにつれ、愛しい人たちを多く見送ってきた。

 でも愛しい者たちは消え去ったのではなかった。むしろ以前より身近に感じることが多くなってきた。

 

 送った人たちはもう現実の世界にはいないのかもしれない。

 でも、この世界で日常の中にいる私たちは、たくさんの思い出を持っている。

 思い出の中では、私たちは愛しい者たちをいつでも迎い入れることができる。

 

 日常の私たちの世界と、思い出の中にいる愛おしい者たちとの世界とは、実は境目がないのではないか。むしろ現実の世界そのものが、沢山の思い出に包まれているのかもしれない。

 

 私は少年と長女の手のぬくもりを感じながら、そう強く思った。

 

 

「久ぶりにここで写真撮るぞ」

 奉行はそういうと、自慢のニコンF2を三脚に固定した。

 

「あっ、少し逆光だからストロボもつけるか」

 奉行はストロボをバックから取り出した。

 

 皆がならぶと

「おじさん、バウも一緒に撮ってね」

と長女がいった。

「そうだね。いつもおまえも一緒だったかならあ」

少年はバウをそばに引き寄せた。

 

「ようし、セットできた。さあタイマーにあわせて映るぞ」

奉行がそういうと間もなくストロボが光った。

 

強くそれでいて優しい光が、ふるさとと皆を包み込んだ。

  

 

 

 

「ちょっと、起きてよ。もう終わったから帰るわよ」

 妻の声で私は目をさました。

 今日は長女の命日であった。妻と二人で寺の納骨堂にお参りに来ていた。

 

 読経の後、妻は管理費の支払いで事務所に行っていた。私はロビーでほんの数分間まどろんでいたようだ。

 寺の大きな駐車場の向こうでは、最近できた洗車場が忙しく働いていた。

 

 そこにいる親子に、私の目が留まった。

 父親の横には、10歳ぐらいの水色のトレーナーを着た女の子が、布を持ちふき取りを手伝っていた。

 女の子は、何気なくこちらを振り向くと、ニコリと笑った。

 

「可愛い女の子ね」妻が目を細めていった。

 

「そうだな」

 

 私はそういいながら、少女の微笑みの中に長女の姿を見ていた。

 愛しい者たちは消えたりしない。

 私たちが思い出の扉を開き、迎い入れると、いつでも私たちのそばにいる。

(2021年5月17日 発表)


(作者紹介)

夕張市鹿島生まれ
生まれてから高校卒業までの18年間を大夕張で過ごす。『ふるさと大夕張』にはしばしば投稿していたようだが、素顔は謎である。札幌在住。


yuki

 

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