栄町から富士見町
2021-08-30
2023-08-28
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購買会栄町支所からプールまでの間には、空き地があった。
栄町の購買会横には踏切もあり、この空き地では、小学校低学年の頃(1960年代前半)よく遊んだ。
一人遊びの記憶。一人で遊ぶとろくでもないことを思いつく。見ての通り線路への柵もなく、土手をちょっと上がると線路だ。
踏切もあったが、人が通る小道の間に枕木のような板が通してある簡単なもので、もちろん遮断機のようなものもなかった
列車が去った跡線路に耳を押し当て、タタン、タタンと走行音を楽しむのは、よくあることで、危険なんてことは一つも考えなかった。
しまいには、罐にくべる石炭を「こら-」といって、機関士さんが、スコップでまき散らして、自分は逃げた記憶もある。なんか悪いことやったんだなと思うが、何をしたのかは忘れてしまった。
その空き地をはさんで栄町1丁目20番地から富士見町に向かって撮影された。
富士見町3丁目あたりの住宅が写っている。
昭和48年、初夏の頃か、タンポポの海の向こうを白煙を上げて『No.7』が進む。
この素敵な写真は、『煙の記憶』のブログの中の一枚。
ブログを読んで、タンポポの空き地の向こうを行くNo.7の写真を見たいと思った。
昭和48年閉山の年の大夕張。
煙の記憶道内の鉄道のみ撮影してます。三菱大夕張鉄道など古い順から投稿します。時々、変化球があるかも・・・
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