大聖寺(曹洞宗)
昭和43年、千年町。曹洞宗大聖寺。
境内には、無縁供養・水子地蔵があった。昭和16年(1941年)8月に、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、第二代萩野寛宗師が建立した。当時の檀家は約850軒を数え、鹿島の街の様子がうかがえる。
【沿 革】
所在地
夕張市鹿島一番地千年町
創立年月日
昭和6年6月13日
寺号公称
昭和18年7月22日
本 尊
釈迦牟尼仏
歴代住職名
萩野鉄山・萩野寛宗・萩野宗英
檀家総代
高田文治郎・熊谷市助・千葉金一・堀野已代吉・小須田新一・高橋孝助・坂本行雄・恩田実
檀徒数
350戸
年中行事
祈祷会・涅槃会・春秋彼岸会・盆法要・報恩会
建造物
本堂(38.5坪) 庫裡(99.2坪) 納骨堂(28坪)
境 内
国有地借地 0.4849アール
寺 歴
昭和3年三菱大夕張炭鉱が開発された時、当時南部の説教所で布教していた初代萩野鉄山和尚が会社の要請によって、昭和6年現地に説教所を構え、布教したのが始まりである。
昭和18年寺号公称を許され、萩野寛宗が第二代の住職となる。
(『夕張市史(S56)他』)
鹿島への思い 【萩野宗英】
思えば両親が祖の父(萩野鉄山、昭和19年死亡)と私と姉を連れて南部(現在の遠明寺)より、初めて大夕張に居住したのは、昭和5年でした(大聖寺建立)。
その当時は人口も少ない淋しい町でした。
やがて、終戦を境にして人口も増え、まさに大夕張の全盛期を迎えました。
居住した当時植えた桜の木も大きくなり、大夕張の桜の名所として、桜の季節には、多くの花見客で賑わったものでした。
数々の思い出を残しながら、ダム建設に伴って故郷がなくなることは大変残念で、何とも言えない一抹の淋しさを感じます。
(『鹿島で暮らした日々大夕張(H10)』より)
父方のお寺 【飯田雅人】(98/10/1)
線路から山側には,たくさんの寺院がありました。その中でも,大聖寺は千年町と錦町の境界あたりにあり、曹洞宗の寺院として敷地も広く一際大きななものでした。昭和6年に萩野鉄山が会社の要請でこの場所に説教所を構えたのが始まりだそうです。
信者数,檀家の数は,大夕張随一で,昭和30年代には,400人以上もいたそうです。
いろいろな宗派の寺院と墓地までそろい,千年町と名づけられたこの街。
これもまた、炭坑のまち大夕張らしい気がします。
大夕張から住民が撤退していく中で,最後まで地域に残っていたのもこれらの寺院だったのでしょう。
私は、子どもだったので、お付き合い等は覚えていませんが、父や母からは千年町の他の寺院の住職のお名前ともども、住職の萩野さんの名は聞いていた覚えはあります。
昭和47年に父の葬儀を行い、札幌に出るに当たり、我が家の現在の菩提寺である浄国寺を紹介していただいたのも当時のご住職でした。