融けかかったアイスキャンデー |高橋正朝 #60
例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。
昭和43年鹿島東小学校周辺住宅地図
NAGAMINE KAZUTOSHI さんが、以前、facebook に書き込んでいましたが、私の弟と同級生だったようです。 弟は正臣といい、4歳下で、札幌に住んでいます。
私がナガミネさんについて言及するとき、カタカナにしているのは、正確な漢字表記を知らないからです。
ナガミネという苗字は珍しい部類にはいるでしょう。
私の今までの人生では、ナガミネという苗字の人は、明石町番外地に住んでいた一家だけで、それ以外では出遭っていません。
ただし、飯田さんが編集した千年町の住宅地図に、長峰という苗字がみえるので、ここの人が、明石町番外地の、私が生まれ育った家の裏手に住んでいた NAGAMINE さんなのかなぁ、という想像はしていました。
佐々木孝幸 さんは、『 酸とアルカリ その1 』に、私が、ナガミネさんのことを書き込んだことから、鹿島中学校の同級生でバンド仲間だった長峰さんの思い出を誘発したようです。 KAZUTOSHI さんは、ナガミネさん一家の長男だったはずです。
私が、NAGAMINE KAZUTOSHI さんを覚えているのは、私が4歳のときです。
NAGAMINE さん一家が、明石町番外地から引っ越してから、初夏のころ、KAZUTOSHI さんをおんぶって、オバさんが、番外地の我が家にひょっこり遊びにきたことがありました。
何で、そんなことを覚えているかというと、母親に、服部商店にアイスキャンデーを買いに行かされて、帰ってきてから怒られたからです。
当時、明石町駅前から、開拓の方に行く道路は造られていなかった。
番外地のエリアから、明石町駅のホームの裾に近づき、そこにあった沼というほどでない水溜りを渡らなければならなかった。
その水溜りには、幅の狭い板が水の中に敷かれており、運動神経の鈍い私には、難儀だった。
服部商店に行ったら行ったで、アイスキャンデーは、売れ残りの融けかかったものしかなかった。 アイスキャンデーを買いに行かされたので、その融けかかったものを買って帰った。
融けかかったものを買い、当日は結構暑かったので、融けかかったアイスキャンデーはさらに融けかかり、そのようなものを持ってきたものだから、母親は激怒した。
それで、記憶に残っているのだ。
当時は、一般的には、冷蔵庫どころか冷凍庫もないわけで、アイスキャンデーの保管庫は、氷を入れたものである。 冷蔵システムなぞ、4歳の幼児には知る由もない。
その上、買う時点で、アイスキャンデーは融けかかっていたということを、私は口下手だったので、母親にまったく説明できなかった。 4歳の幼児では知らない言葉だったが、子ども心に、母親の激怒は、理不尽なものだと思ったものだ。
(2021年10月2日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。