八百五十の歌詞など | 早坂治敏
2021-10-04
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前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。
この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。
現在は富山に在住です。
転勤してから、立山連峰の山々に登っております。
浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。
夕張岳には昭和37年に登っています。
同じく八百五十にも昭和37年の冬に登っています。
ところで、大夕張小唄の八五十の唄の話がありましたので、思い出した歌詞を以下に記述します。
(1番)
シューパロに風渡り、流れもぬるんで春が来る。
幟(のぼり)はためく 山祭り、
祈りかしこみ地熱の中に 男度胸の花が咲く。
大夕張、よいとこ、炭坑の町ヨー。
(3番)
八五十の山々越えて 夏が来る。
待ちに待った盂蘭盆(うらぼん)の
櫓太鼓に心もかよう 手拍子揃えば 気も揃う。
大夕張よいとこ炭坑の町ヨー。
ところで、まったく話は変わりますが、最近投稿なさっている内川准一さんは、恵美子さんのお兄さんでは?
確か、弥生町1丁目13番地8舎に在住していたのではないかと記憶しております。
私は弥生町1丁目12番地6舎にいましたので、たぶん小学生の頃徒党を組んで遊んだ仲間だと推察します。
因みに恵美子さんとは鹿島小学校で同学年でした。
(1998年9月20日 記)
愛称でいくね・・ハルちゃん!この書き込みを見てたいへん喜んだことを思い出しました。
1998年とありますからもう25年も以前のことになるんですね。
現時点での感想を補足しますね。読んでくれるかどうかは心もとないですが・・
1962年に大夕張を離れたときに別れた幼馴染と34年後に急に繋がったことに時代の進化を感じたものでした。
ここはバーチャルの大夕張なんぞではありません。
各人がいろんな記憶を持ち寄って互いの記憶の隙間を埋めあっていると、ある日突然、真実が姿を現わすのです。
それがその人にとってかけがえのないものであれば、「いま現在」もまた豊かに照らし直されるのです。
これはきっと、生きる楽しみにも、生きる勇気にも、生きる感謝にも繋がる大切なものになるでしょう。
早坂さんは、昭和26年生れ、自分は昭和31年生れで5才違いだが、全然この歌詞を覚えていなかった。
というか、歌詞どころか、大夕張小唄そのものも、記憶になかった。
大夕張小唄は、盆踊りの時に、よく歌われてというが、そういえば、鹿島小のグラウンドで行なわれた盛大な盆踊りの輪にはいって踊るのは、小さい頃から苦手でほとんど縁がなかったし・・・。
そんなこともあるんだろうなあ。