2021-10-06
13008
MY HOME TOWN | J
最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。
「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。
聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。
宣伝ではありません。
機会がありましたら是非聴いてみてください。
(2009年8月25日 記)
最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。
「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。
聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。
宣伝ではありません。
機会がありましたら是非聴いてみてください。
(2009年8月25日 記)
何年も前に、長崎に行ったとき、観光案内してくれたタクシーの方が、クルマの中からあそこが福山雅治さんの実家だよとクルマの中から指を差して教えてくれたことがあった。
「へえ、ここがあの有名な歌手の~」
と思ったけれど、極々、あたり前の普通の家だった。地元の人たちには良く知られているらしい。
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ふるさとへの思いを重ねる・・・。
半生をふり返り、人生における故郷の意味を考えるには、ある程度の心の時間が必要なんだと思う。
自分は40代、ダムに沈むことは、一つのきっかけにすぎなかった。おそかれはやかれ、そういう時期だったと思う。
18才は、高校卒業と同時に故郷を離れる。いろんな意味で転換点、分岐点なのだろう。
炭砿の街である大夕張は、炭鉱事故、離職、閉山などで引き離されるように山をさった人も多い。
特に自分年代あたりからその下は、閉山で大きなショックを心に残した・・。
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もちろん、別れ情景は人それぞれである。
自分の場合は、15の春を札幌の祖父の家で迎えた。
中学浪人という立場で不安定なスタート、父との別れ、故郷との別れ。
年齢も重ね、今はもう何も不満はないが、やはり大夕張に思いを残してきた。
いまさら取り返せるものは何もないが、向き合って思いを馳せる時間はもっていたい。