母の大夕張への思い|二木 晃
2021-10-08
2022-01-11
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私の母は、当時、炭砿病院の隣にあった「家政塾」の和裁と料理の先生をしていました。
平成十二年に、名古屋のわが家で亡くなりましたが、時折、大夕張の生活を懐かしみ、短歌に記しておったようです。
先日、遺品を整理していたところ、大夕張への思いをつづった短歌数編が出てきましたので、拙いものですが、供養のためにご紹介したいと思います。
●炭住の 暮らし慣れて 隣家に貧しき味噌醤 油など用立てもする
●今にして 恋し炭山の温かさ あけすけの物言いも 隔てなき心か
●幸せも 不幸せも 等しくうべないつ 炭山の女らの明るし日々を
●廃山となりて 跡形もなき社宅 富士見町は ここら辺り 雪しまく中
●今にして 炭山の暮らしの 温かさ 吾には優しき思い出ばかり
(2005年11月08日 記)