昭和29年 稚児行列

19222

 昭和29年(1954年)7月18日の稚児祭りの3枚の写真のうちの一枚。

 後ろの線路脇の向こうには大勢の人出。

 稚児行列の子供たちは日ざしがまぶしそう。

 自分はあまり馴染みがなかったが、「稚児祭り」「稚児行列」「お稚児さん(おちごさん)」と呼ばれて、今も全国で行なわれている。

 衣装に色をつけるために、写真検索してみたが、 絢爛豪華な衣装をきた現代の稚児さんたちの写真が、ずらずらーと、あらわれた。

 

 この写真、懐かしくも郷愁を感じる風景。「ここは間違いなく大夕張だ」と思える写真である。だが、場所はわからない。

 

 後ろに見える建物が消防署のようで、そうすると、後ろは小学校のグラウンドのようにも思える。が、千年町からの距離はけっこうあり、年少の子どもたちの足で行列はちょっと厳しいのでは。そうすると千年町近辺となるが、思い当たる場所がない。

 

 40代の祖母と、8才の叔母が写っている。当時参加した方の話によると、千年町の集合場所からお寺まで(願正寺)行列して町を歩いたという。子どもたち同士、頭の冠がからんで大変だったそうだ。

 

 

白黒写真に着色した画像

 

線路の向こう側にも大勢の人が集まっている。

 上の文章を書いて投稿してから、しばらしくしてKawauchiさんからメールがあった。

 

 「消防署付近を過ぎ、泉町に向かっているところではないか」ということと、「それにしては、向こうに見える山が近すぎる」という内容だった。

  

 これを読んでハタと思いついた。昔の写真によくある左右が反転しているのではないかということだ。

 

 そこで、左右を反転させてみた写真が次のものである。

 

 どうだろう。

 これならわかる。消防署の向きと火の見櫓の関係、線路の向こうの小学校のグラウンドから富士見町の山にかけて見え方が違和感なく心に落ちた。

 

 場所は、消防署を過ぎて、岳富町(宝の沢)の坂を下って千年町に向かっていくところでした・・・・。

 

 ちなみにKawauchiさんは、昭和35年頃の、稚児行列についていったことがあるそうで、次の様な思い出を話してくれた。

 

Kawauchi Masami
Kawauchi Masami

 小学校一年生の頃、加川写真館辺りでこの行列を見つけ、付いて行ったことあります。

 スタートは 分かりませんが、最後は千年町のお寺に行きました。

 付いて行った私達も、菓子パンを貰った記憶があります。

 当時、菓子パンは買ってもらえませんでした。

 とても 嬉しかったのを 覚えています

 

 菓子パンは、メロンパンや、ジャムパンなど、種類もそんななかったように思う。当時としては、ご褒美としては豪華だった。

 

 それにしてもやっぱり、この衣装を着て、街を歩いて千年町まで帰っていったんだ。

 千年町から大夕張の街は、10才くらいのこどもたちにとって、けっこう距離があったと思うが、当時の子どもたちはタフだった。

 

 

 

下の写真は、同じ昭和29年7月18日の稚児祭、3枚の写真のうちの一枚。

千年町細川新聞店の前での集合写真。


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