おもちゃ
この写真、昭和30年代中ころ。
頭の中で描いていた色とりどりのオモチャ達が、モノクロからカラーへ。色がついて身近になった。
記憶をたよりに、想像をいれながら、彩色していった。
今も頭にあった色のイメージ・・・SLは濃い青、バスは赤みがかった黄色ないしは黄土色に近い色、というのが記憶に残る。郵便車と消防車は、当然赤。
忘れていた記憶も蘇り、いろんなことを思い出してしまった。
手前の大きな蒸気機関車。父に煙突から煙を出してもらって、それが嬉しくて何度もおねだりした。
煙突の穴に、父が煙草の煙を短く、一息、『ポワッ』という感じで入れる。
すると、白い煙がゆらゆら立ち上った。
それを見ると、本当に蒸気機関車が煙を出しているように見えて、「もう一回、もう一回・・・」と何度もせがんだ。
嫌な顔をすることなく、そのたびに大きく煙草の煙をため込んで、体を屈めて煙を入れていた、そんな父と無邪気に大喜びしていた自分の姿が心地よく浮かぶ。
とにかくこの蒸気機関車とは畳の表面がむけてしまうほどよく遊んだ。また、ブリキの煙突に小指をひっかけて何針か縫った。今に残る傷跡も懐かしい思い出だ。
バスは、はとバスだった。はとバスにのったこともないのに、このおもちゃのおかげで『はとバス』という名称は知っていた。東京に親戚がいたので、送られたものなのかもしれない。
戦闘機は、主翼や胴体につくイギリス空軍のマークが、アメリカの方がかっこいいのになあ、と思って眺めていたような記憶がある。
オートバイがある。このオートバイは、ゼンマイ式か、電池で走るタイプのものだった。写真を見てもわかるとおり、ハンドルが固定されていて、曲がることはできず、まっすぐ走ることしかできない。
走りだすと、数メートルも行かないうちに壁にぶつかって転倒、空回りの繰り返しだった。
当時、TVでバイクに乗って空を飛ぶヒーローものが流行っていた。
空をとばすことはできないかいつも考えていた。たしか一度だけ、母にせがんで紐で縛って天井につるしてみたことがあった。手で揺らしてフラフラと振り子のように揺れるだけ。あたりまえだが到底ヒーローには及ばず、それ以降あまりあそばなくなった・・・・。
他にもまだあるが、キリがないので、このへんで止めておきます。
この一枚の写真には、本当にたくさんの思い出がつまっている。
おもちゃ遊び 【飯田雅人】
昭和34年頃、おもちゃに囲まれて・・・。
この頃から乗り物、特に、汽車とバスのおもちゃは大好きだったかな。
ほとんどが、ブリキのおもちゃでしたね。
大人になってもその乗りものと、おもちゃが好きなココロは持ち続けているような。
プラモデル全盛期直前 【JUN】
この頃は、プラモデルが全盛を迎える直前の時期ですね。動く玩具が隆盛を極めた時期だったように記憶します。
わが家にも歩くロボットや作業ができるショベルカーなどのブリキのおもちゃがあって、担任の先生から言われて教室に持って行ったことがありました ~思えばなぜだったんだろう~