2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2
午後11時頃、最初に、鹿島小学校校歌の歌唱シーンの収録から始まりました。
鹿島小学校鼓笛隊生みの親、田中豊一先生(田中先生は2010年にお亡くなりになりました)のピアノ伴奏に合わせて、「ああ、大夕張」の合唱がグラウンドに響きます。
イリュージョン。かつての大夕張駅前通り。元住民達が懐かしそうに笑顔で集まってきました。それぞれの思いを胸に駅前から代々木町方面に向けて歩きだしました。駅前通りを行く人たちのシーンの撮影です。
ふるさと鹿島25年会の方、その他、いろいろな形で駆けつけたみなさんが大勢参加し、この日一番のにぎわい。
誰もいなくなった街にあちこちで、笑い声が響きました。
思い出ノートを抱いた少女の子役の方と子供たち。記念撮影です。子供たちも大活躍でした。夕張岳も姿を見せて、一日中応援です。
美奈さん、Masa、としさん、千古のみどりさん、ヒロさん・・・。
この他、初対面の方も多いですが、「初めて会った気はしませんねエ。」とは、どなたかの声。
川崎からは、この企画の仕掛け人、桂さんもみえました。
シズコちゃん、北沢さん、田中(馬野原)さん、なつかしい方や、「ふるさと大夕張」を通して知り合えた方と再会、出会いがあった一日となりました。
10月末の大夕張は、寒い・・・、10度前後の気温でした。時期としては、いつ初雪がふってもおかしくない季節です。
たき火をしながら暖をとっていると、そこには、あたたかい人の輪ができます。
同窓会関係,鹿島25年の会,道外からと、本当に多くのみなさんがかけつけました。仲間の車に同乗して、特に本州から来た方にとっては、清水沢からタクシーで、千歳から・・・・と、公共交通機関もない大夕張に何とかしてたどり着いた、という方が多かったのです。
Masaは、『思い出ノート』に書く言葉を思案中。下書きをしてようやく書き終えました。短い言葉で自分の気持ちを正直に書き表すというのは、意外に難しいモノです。
みなさん,思い出ノートの言葉を朗読し、それを収録しています。
横で見ていてもその言葉が胸をつきます。
以上が、『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』掲載されたものを、若干修正しながら、掲載しました。
写真は、ロケが終わってすぐに、成松さんがデジカメで撮ったものをeメールで送ってくれたものです。本当はもっと鮮明な写真を・・と思いましたが、PCの変遷ともに、原版は消失。
リサイズしたものしか残っていませんでした。そして肝心の自分は、撮影すらしていなかった・・・。スマホのないそんな時代でした。
ふるさとへ思いを紡ぐ『思い出ノート』の設置者、泊川さんが送ってくれた写真が、今も手元に残っています。